ババジとは神の偉大な顕現であり、肉体を持った人の姿で、人類文明の推移の中で、人類が神との関係を理解し、体験し到達することを助けるために出現すると言われる存在です。
ババジが人の姿をとってこの世に現れた理由は、「すべての闇と無知とを破壊するため」です。
「シュリサダーシヴァチャリタームリット」(1959年)は聖なる啓発を受けて書かれた本ですが、その中で古代の伝説的聖者と神々が人類を救け導くために誰かを地上に送ることが話し合われています。
そして、彼らはサンバサダーシヴァだけがこの仕事に必要な資質があると同意します。
そこで彼らはサンヴァサダーシヴァ神のところへ行き、地上の惨めさを救ってほしいと願います。
神は次の言葉で答えます。
「私はもうすぐ地上に行こう。トゥレタユガに私はラーマと共におもむき、ブラフマチャーリーとして世界の無知を除く。
ドゥワパラユガに、私に心開く者すべてに入り知識を与えよう。ヴィシュヌは白鳥として私の中に入り、クマオンの人々は、私をパラマハンサ(至高のスワン、白鳥は知識のシンボル)、私をブラフマチャーリー(知識の探求者)と呼び始めるだろう。」
ババジは地上に現れました。
1861年~1922年、1970年~1984年にふたたび地上に現れ、人々にメッセージを伝えました。
ババジはある特定の宗教を支持するのではなく、「生き方」を示し教えます。
「真理と簡明(※1)と愛」です。
「真理と簡明と愛の道に従い、それに生きることは、人の無上の本分であり、最高のヨガである。」
これは理想論ではなく、我々が実際にそのように生きるよう励ましました。
「私はあなたが真理と簡明と愛について話すことを好まない。
私はあなたにそれを生きて欲しいのだ。」
※1:簡明とは、物質界が相対的なもので、一時的で永続性がないことを認識することであり、至上霊すなわち神の生命と神の光を認識することです。
それゆえ、人は肉体をもち、物質的世界に生活していながら、習慣的な物質的欲望から離れることが要求されます。
この超越的な態度は、食べ物、衣服、家など、私たちの所有しているすべての物質的で快適な環境を簡素化することを通して習得されます。
簡明と謙遜の道が霊の覚醒のための古代宗教の道であり、道徳と規律が含まれています。
「この国のすべての人々、世界中のすべての人々が幸せであるようにと願っている。
今日、人間性は完全に死に絶えた。人間は動物のようになってしまった。
私はすべての人の魂に人間性を取り戻したい。
人間としての心意地に欠けるがために、どの人も緊張と恐怖の中に生きている。
この状態からすべての人を救いたい。昔、賢人たちが次のようなマントラを創った。
皆が幸せであるように。
皆が病気を免れるように。
皆が善を知るように。
皆に悲惨がないように。しかし、すべての時代を通して、平和と幸福を運ぶように見せかけて、戦争ばかりが行われた。
ラーマーヤナ、マハーバーラタの中にあるように。
そのような戦争は何百万もの悲しみにくれる女と子供を残しただけだ。今、私は人間一人づつのハートを変容させることで、すべての生あるものに幸福をもたらしたい。
唯一このやり方でのみ、マントラを創った賢者たちの夢を叶えることができる。
この目的のためにはカルマヨガ(※2)だけが道である。
カルマヨガだけが満足をもたらし、行為の善い果実をもたらすことができる。
これによって、幸福はおのずから人の心にやってくる。
だから、しっかり働きなさい。
カルマヨガの道を生きなさい。」「あなたは人間性を高めるために働かねばならない。
自尊心と嫉妬、憎しみを根絶するために働きなさい。
今日、人間性は危機に瀕している。
人の安全や富にも保証はない。
これは一つの国だけの問題ではなく、全世界の問題だ。自分自身を高めるために愛で結ばれなさい。
一人ずつが、今日のこの日に、皆との間に一体性を得るために、すべてを捨てることを誓いなさい。
心にある執着を捨て、正義のために人生の火の中、水の中に飛び込む覚悟を持ちなさい。
必要ならば、善と正義を守るために、自分の身体さえ火に燃やす覚悟を持ちなさい。」
※2:カルマヨガはババジが最も強く頻繁に強調した教えであった。
カルマヨガとは、利己的な動機や目的無く、創造主と創造された万物と調和して遂行される仕事である。
そのぞれの人が自分の義務、警官、教師、母、文筆業、農業、建築、治療、管理などいかなることであろうと、自分の職務を持っている。
その務めが、利己的な自我からの動機付けではなく、自分が了解する神の意志と調和し、家族や共同社会の反映に貢献するものとして、万物が調和を持って機能することを助ける目的でされるならば、その行為はカルマヨガと定義されるだろう。
憎しみや嫉妬、貪欲や色欲、恨みなどのような動機付けからくる行為は、カルマヨガとは認められない。