古来よりインド哲学では、心を制御することが最も重要であると考えられています。
湖面は波立たず静かな時、鏡のようにものを映し出します。
景色、空の色など、湖面は周囲のあるがままの姿をそこに映し出すでしょう。
しかし、湖に波が立つと映った像はゆがめられ、湖面に何が映っているのかすらわからなくなります。
湖は心、波は心のはたらき、心がざわめく様子を表しています。
心の波は、その奥深くにある真の自己を認識するためには、障害となります。
真実を見るためには、波のない湖面のように心を保つ必要があります。
また、想念(心に思い浮かべる考え)はカルマを生じさせます。
思ったこと、想像したことはそれを引き寄せるのです。
心に恐怖があるならば、いつかそれは起きるでしょう。
心に平安を感じているならば、外界に平安を見出しているでしょう。
ゆえに、心を制御することは大変重要な事なのです。
否定的な心の癖を直さずに持ち続けていると、摩耗してしまいます。
様々な聖典や経典では瞑想や呼吸法、アーサナ(坐法)などを使って心を制御し、真我に至る方法が説かれます。
その中でも私たちが一番意識しやすいのが言葉の遣い方でしょう。
私たちは誰かと話す時だけでなく、一人で何かを考えている時も言葉を使っています。
その際、どのような言葉を選ぶか、またどのように使うかによって得られる結果が異なります。
「言葉」について書かれた、不死身の聖者ババジの教えを「ヴォイスオブババジ」よりご紹介します。
「人は言葉で考え、言葉で自分の考えを表現する。
言葉は想念がそれ自体を表現する媒体である。
換言すれば、想念は言葉の翼で飛ぶ鳥だ。
それらは相互に関連している。
言葉を適切に選べば目に見える結果が得られる。
言葉の選択には識別力を十分に機能させなければならない。
言葉を選ぶと共に研究し、それを意味深く、効果的かつ立派に使いこなしなさい。
言葉は力だ。
良くも悪くも言葉はその人の好み・気性・教育・育ち・目的・抱負・教養の程度を明らかにするので、言葉によってその人がどのような人なのかがわかる。
言葉を研究することは大いなる喜びであり大きな成果をもたらす。
しかし人は虚栄に身を任せ、饒舌(じょうぜつ)であってはならない。
そうであるなら、口を閉ざしておく方が良い。
陽気さは摩擦、心配、苦い経験を追い払う。
それによって人生という装置のすべてが調和の内に保たれる。
逆境に面した際に笑うことを学びなさい。
それは勇気だ。」
この世界は私たちの言葉の力で成り立っているとも言えます。
私たちは、辛辣な批判や中傷、悪口、噂話を避けなければなりません。
口に出す言葉はもちろんですが、心の中においても批判や悪口は避けましょう。
他人を批判し、中傷し、悪口を言い、噂話をすることで、その人の悪いカルマを引き受けます。
誰に対しても不快感を与えない丁寧で優しい言葉を選択することで、私たちの内に忍耐と勇気を育むことができます。