聖人、賢者は幻想に騙されてはならないと説きます。
「遠くできらめく街の灯を見ると、素敵に見えませんか。
しかし、そのいくつかの灯のもとでは、恐るべき犯罪が行われているのかもしれないのです。
人生で繰り広げられる外側のものに騙されてはなりません。
その魅力は表面的なものなのです。 見せかけの背後にある、内なる永遠の真理に目を向けなさい。」
(「パラマハンサ・ヨガナンダとの対話)より一部抜粋)
お釈迦さまは、智慧によって得られる心の平安を説きました。
どのような心で生きると、人は幸せになるのか。
その答えは、仏教において明確に定義されています。
私たちは様々な生命とつながり、お互いに支え合って生きています。
一人で生きていける人はいません。
あらゆる生命のお蔭で自分の命が続いているのです。
ですから、あらゆる生命を慈しむという基本を決して忘れてはならないのです。
地球という星に存在するあらゆる生命、他次元生命も含めたすべての命を慈しむ心を。
不幸になる生き方。
それは自己中心的な生き方です。
自分の利益、自分の幸せを生きる目的とし、他者に興味を持たず、他者の悲しみ苦しみに無関心でいると、他者からも大切にされません。
自分を最優先する人は、少しでも傷つくことを怖がり、つねに恐怖や不安を抱えています。
自分が思うほど人から信頼されず、愛されず、困った時に助けてくれる人は少なく、ますます孤独になります。
幸せになる生き方。
それは他者と共生する生き方です。
自分と同じように他者を思いやり、他者の幸せを喜び、不幸を悲しみ、苦しみを分け合う人は、喜びに満ちた日々を送るようになります。
お互い様の精神で人と共生しているので、自分が傷つくことを恐れません。
他者と積極的に関わり、信頼され、愛されます。
人望が厚く、本当に困った時に人は進んで手を差し伸べ、助けてくれるでしょう。
孤独とは無縁な生き方です。
喜びに満ち、幸せで充実した日々を過ごすには、自己中心的な考え方を放棄することです。
多くの人が陥りがちな、「自分さえよければ良い」という利己的な生き方から、他者と共に生きる利他的な生き方へと変換するのです。
利他的な生き方とは、他者の喜びを自分の喜びとし、悲しみを共にし、苦しみを分け合う生き方です。
嫉妬や嫌悪はどこにもありません。
これこそがあなたを最高の幸せへと導きます。
利他的な生き方を実際に続けると、莫大な利益をもたらすものだと実感することができます。
人生に喜びが満ちてくるのがわかるでしょう。
たった一日そのように過ごすだけでも、喜びは何倍にもふくれあがります。
利他的な生き方をしている人は、これが大げさな表現ではないことを実感して過ごしているでしょう。
今あなたが幸せに生きているのなら、それは過去にあなたが誰かを幸せにしたからです。
その幸せがめぐりめぐってあなたに返ってきた結果、あなたは幸せなのです。
反対に不幸を感じて生きているのなら、過去に誰かの不幸を願った、あるいは不幸にした結果なのです。
その不幸がめぐりめぐって、あなたに返ってしまっているのです。
カルマの法則、因果応報とも呼ばれ、自業自得という言葉もあります。
これは過去、現在、未来永劫変わらない法則です。
カルマの法を覆(くつがえ)すことは誰にもできません。
イエス・キリストはカルマについて、
「まいた種は自らで刈り取りなさい」と説きました。
カルマの法をくつがえすことは神様にもできません。
この事実を知った賢い人は、利他的な生き方を実践するのです。