ヴェーダ哲学と仏教
私たち日本人の考え方に影響を与えている仏教は、仏陀がインドのヴェーダ哲学の教えを取り入れて、自ら新しく興したものです。
紀元前1500年頃、インドのインダス河上流に定住したアーリア人は、牧畜や農耕を行いました。
アーリア人は宗教的な民族で祭祀を熱心に行い、その際に神々に捧げた賛歌を集め編纂したものが「ヴェーダ聖典」です。
ヴェーダとは「智慧、知識」を意味します。
最古のヴェーダ聖典「ウパニシャッド」は紀元前6世紀ごろに成立しました。
仏教における「輪廻」や「業」の思想は、ヴェーダ聖典「ウパニシャッド」にその原型が見られます。
カルマの法則
カルマの法則のカルマとは、仏教以前にヴェーダ哲学において重要視された宇宙の仕組みです。
仏教では因果応報(いんがおうほう)と言い、カルマは業(ごう)と呼ばれます。
カルマも業も、暗くて悪いイメージと共に語られることが多いのですが、本来のカルマや業が持つ意味は、そのようなものではありません。
「カルマ」とは、サンスクリット語で「自由意志のもと、自らが選択して行う行為」を意味します。
業も同様です。
善い行い(カルマ)をした結果、めぐりめぐって「楽」がやってきて、
非道徳的な行い(カルマ)をした結果、めぐりめぐって「苦」の報いがやってきます。
善意と善行は良いカルマと、幸福な転生をもたらし、悪意と悪行は悪いカルマと悪い再生をもたらすとされます。
これがカルマの法則です。
善い行いとは、宇宙と調和する行為であり、第六感に従って行動すること。
悪しき行為とはこの秩序を乱す、不調和の行為であり、エゴに従って行動すること。
エゴとは、他人の迷惑を考えず自分の利益のためだけに行動するやり方、考え方です。
エゴを手放す
エゴに従った生き方の例を少し挙げてみます。
・誰かが不利益を被ったとしても、欲しい物は、絶対私の手に入れたい。
・私は評価され称賛されたい。人は評価されてほしくない。人が称賛される姿は見たくない。
・私の過ち、欠点は誰にも気づいて欲しくない。人の過ち、欠点はみんなに気づいて欲しい。
・私は幸せになりたい。人は不幸でいい。
エゴは、自分が他者よりも優位な立場であることを確認するために、自分と他者を分断し、他者を自分より下の位置に置きたがります。
このような心を持って生きていると、人との信頼異関係が崩れ、孤独感を味わいます。
つまり、人のエゴこそがその人を不幸にする原因です。
エゴを排除すればするほど、あなたは他人と共に生きる、宇宙と調和した利他的な生き方ができるようになり、幸せや満足感を味わうことができます。
エゴを手放すには
しかし、エゴをなくすことは簡単ではありません。
誰しも自分が一番かわいく、他者のことはどうでも良いと思っていて、エゴに従うことこそが正しいと、自分で潜在意識に日々刻み込んでいるからです。
エゴをなくすには、利他的な生き方こそが正しいのだと、繰り返し自分に言い聞かせるしかありません。
「他者を思いやり、悲しみ、苦しみを分かち合い、他者の幸せを願う心こそが、私を幸せにする。
幸せは奪い合うものではなく、分かち合うものである。
分かち合ってこそ、幸せは倍倍に増えていく。」
こういった思考を潜在意識に浸透させて、自分を少しずつ変えていくのです。
エゴを手放すのは、徳を積むことのように難しく、本当に少しずつしか変化させることができません。
たゆまぬ努力と忍耐が必要です。
ですが、ここで朗報です。
あなたは利他的な生き方をする能力を既に持っています。
やる気を維持し、ひたむきに続ければ、必ずやエゴを減らし、あなたに幸福をもたらす利他的に生きることができるでしょう。
なぜなら私たちは、誰もが皆、全てと調和する能力を生まれながらに持っているからです。
赤ちゃんの時は、誰もが宇宙と完全に調和している状態でした。
そこに戻るのです。