私たちは様々な不足感を抱え、苦しみます。
他人と自分を比較して、自分が他人よりも劣っていると感じたものを補おうとします。
補うと、自分が優位なグループに所属したことを確認するために、自分よりも劣っていると思う人に対してマウントを取ることも多々あります。
また、自分が優位に立てないと思うとストレスが溜まります。
多くの人は自分よりお金を持っているかどうか、で他人を判断します。
自分がより多く持っていると感じられる相手には対して優越感を感じ、
敵わないと思う相手には劣等感を持ち、卑屈になります。
物理的に豊かになり満たされると、他人の才能に嫉妬することもあります。
才能は、金銭よりも価値があることに気づくからです。
自分と他人を比較することがすべての苦しみの始まりです。
この苦しみについて、パラマハンサ・ヨガナンダ師は次のように述べています。
苦しみの直接の原因
同一視のために霊的自己(魂)は精神的・肉体的なある特定の傾向を持つようになります。
この特定の傾向を満たそうとする欲望によって不足感が生まれ、不足感が苦しみを生むのです。
こういった傾向あるいは性向には、自然なものと後から作られたものがあり、自然な性向は自然な欲求を生み、作られた性向は作られた欲求を生みます。
作られた欲求は、習慣となって、やがて自然な欲求のようになっていきます。
欲求は、どんなものであろうと苦しみをもたらします。
欲求を持てば持つほど、苦しむ可能性が高くなります。
なぜなら、欲求が増えれば増えるほど、その欲求を満たすことは困難になり、満たされない欲求が増えれば増えるほど、苦しみが増えるからです。
欲望や欲求が増えれば、苦しみもまた増えるのです。
こうして、すぐに欲望を満たすことが難しそうだったり、何らかの障害に妨げられたりすると、ただちに苦しみが生じるのです。
それでは欲望とは何でしょうか?
それは心が身にまとった新しい「興奮」状態にすぎません。
心の気まぐれ、でき心であって、周囲との関係によって生じたものです。
このように、欲望、または心の興奮状態の増大が、苦しみや不幸の原因なのです。
また、欲望が原因となって、不足感を生み出しては増やしてしまい、その不足感を何かで満たそうとする過ちを犯してしまうのですが、最初に不足感を減らそうとはしないのです。
ところで、けがをしたときの痛みのように、欲望が前もって存在していなくても苦しみが起こるように思える場合があります。
しかしこの場合よく観察してみると、健康でいたいという欲望が顕在意識あるいは潜在意識の中に存在し、この欲望が生理的肉体組織の上に健康状態として現れていました。
ところが、けがの存在という文字通り不健康な状態によって、この欲望が否定されてしまったのです。
このように、欲望という心の興奮状態が、満たされることも、取り除かれることもないと、苦しみが生じるのです。
欲望は苦しみを生み出しますが、同様に喜びも生み出します。前者(苦しみ)の場合は、欲望に関係する不足感が満たされないときで、後者(喜び)の場合は、欲望に関係する不足感が、外部の対象物によって満たされたように感じたときです。違いはこれだけです。
しかしこの喜びの経験は、不足感が外部の物によって解消されたことから生じますが、長続きすることはなく、やがて消えてしまいます。
そして、不足感を解消してくれたように思える対象物の記憶だけが残るのです。
そのため、のちに記憶がよみがえると対象物への欲望が生まれ、不足感が生じます。
そしてこの不足感が満たされないと、再び苦しみが生じるのです。
パラマハンサ・ヨガナンダ 「宗教の科学」より一部抜粋