ヨーガスートラに書かれている内容の一部を、その解説と共にご紹介します。
以下、「カルマ」について記された個所とその解説を「パタンジャリとシッダのクリヤ―ヨーガスートラ」から抜粋します。
我々の人生は、我々が過去にした行為の結果であるカルマを消化するために費やされること、またカルマから自由になるための方法が記されます。
第2章12
蓄積されているカルマは苦悩の種に根差し、見える(現在の)生と見えざる(未来の)生で経験される。
無知、エゴイズム、執着、嫌悪、生への執着という苦悩の種があるために、我々はカルマを蓄積し、現します。
カルマには3種類あります。
- プラーラブタ・カルマ:運命。つまりこの人生で現れ、清算されるもの。
- アーガマ・カルマ:この人生で新たに生み出されるもの・
- サンチッタ・カルマ:後の人生で現れるもの。
すべてのカルマが置かれている場所は、「カルマの貯蔵庫、子宮」あるいは「行為の保管庫」と言われています。
カルマは、苦悩の種を通して顕現(けんげん)する機会を待っています。
強力なカルマは、特別な生まれや肉体を必要とし、関連するカルマもこのカルマと共に現れ、清算されるのです。
真我実現へと至り、新たなカルマを生み出さなくなるまで、これは続きます。
我々な、自分のカルマを生きているに過ぎないということを理解する必要があります。
時間はカルマである、と賢者は言います。
我々はカルマによる自分の地図を持っています。
我々は、各人がそれぞれのカルマを持ち、それに従って行動するということも理解しておく必要があります。
我々は「どうしてあの人はあのように行動するのだろうとか、あのように生きるのだろう」と不思議に思うことがあります。
しかし、相手の方も我々に対して同じように不思議に思っているのです。
各人が独自のカルマによる性質を持っています。
何を良いと考えるのかは、どのような教育を受けたかということと、どれだけ教訓を学んできたかということに基づきます。
人生状況はカルマによって決定されます。
しかし、我々には自由意思というものがあり、人生状況や人生での出来事に肯定的にも否定的にも反応することができるのです。
人生で遭遇する困難に、我々が否定的に、例えば他者に苦しみを与えるような反応を取れば、その反応はもっと強くなって、あるいはもっとひどい形を取って自分に戻ってきます。
状況に我慢強く対処し、他者が幸せになるように努めると、カルマによってもたらされた状況が徐々に中和されていくのです。
「カルマから自由になるためには、自分が探し求めているものを、自分はすでに手にしているということを悟らなければならない」という言葉について熟考することです
参考文献
・パタンジャリとシッダのクリヤヨーガスートラ
・現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ/ガイア・ブックス