ヨーガスートラに書かれている内容の一部を、その解説と共にご紹介します。
以下、「人間関係」について記された個所とその解説を「パタンジャリとシッダのクリヤ―ヨーガスートラ」から抜粋します。
どのような心を持って過ごすと、プルシャ(真我)への到達を進めることができるのかが記されています。
この教えは、良好で発展性のある人間関係を築くのに非常に有効です。
日々の生活の中で心がけることで、自分の心を正しい方向へ導くことができるトレーニングになります。
第1章33
幸せな人たちに対しては友好的な態度を、不幸せな人には思いやりを、徳の高い人には喜びを、不徳な人には平静さを養うことによって、意識は乱されることなく、落ち着きを保つ。
真我実現の過程において、心は障害にも助けにもなり得ます。
真我実現の過程を促進するために、これら四つの態度を日常生活で養うことが推奨されます。
霊的な高みを目指さない場合でさえ、これらを行うことによって、どのような人の人生でも穏やかなものになります。
心は、たびたび反対のことをする傾向があります。「幸せな人に対する友好、善意」
我々は幸せな人に対して嫉妬したり、その人たちの粗(あら)を捜そうとすることがあるので、この態度を養うことが必要です。
たとえば、誰かが労働の結果、物質的な豊かさを手に入れ、それを楽しんでいる姿を見ると我々は嫉妬するかもしれません。
しかし嫉妬するのではなく「彼らが幸せになりますように」と思うことです。「苦しんでいる人に対する思いやり」
自らの思考や行動で、他者に対してできることがほんのわずかな時でさえ、思いやりを持つことによって、自分の心と感情が変容します。
「悪いカルマの報いだ」などと言って他者を判断しないことです。「徳の高い人に対する喜び」
彼らを見習い、そうした人がいることを喜びましょう。「不徳(※)な人に対する冷静さ」
こうした人に影響されないこと。判断を下さないこと。
何かに苦しんでいるかもしれない人を軽蔑(けいべつ)するのではなく、こういう人たちも愛すること。
我々は他者の行いを判断することなく、他者を愛することができます。
他者の行いを判断すると、その軽蔑している性質を自分の中で強めてしまうだけです。
一般的に、我々は自分の中にあるものを他者の中に見て非難します。
世の中は自分の内にあります。
世の中を変えるためには、自分の思考を変えることです。
他者の過失は大目に見ること。
欠点については、思いもしないこと。
欠点に目を向けると、思考がその人に伝わり、欠点をさらに強めてしまうだけです。これらの態度を養うことによって、心が浄化され、揺るがない落ち着きがもたらされます。
※不徳とは、身に徳が備わっていないこと。人の行うべき道に反していること。
参考文献
・パタンジャリとシッダのクリヤヨーガスートラ
・現代人のためのヨーガ・スートラ グレゴール・メーレ/ガイア・ブックス