本当の豊かさを手に入れるには
前回は、ヤマの中でも非暴力、正直についてご紹介しました。
今回は、不盗についてご紹介しましょう。
盗むという言葉の意味を調べますと、
1 ひそかに他人のものを取って自分のものにする。「金品を―・む」
2 他人の技・芸や考えなどをひそかに、また無断でまねる。「他人の論文を―・む」
3 人に気づかれないように、何かをする。「人目を―・んで会う」
総じて、盗むとは「他人のものを気づかれないように取って来て自分のものにすること」です。
自分の利益のために物やアイデアを盗むと、盗んだ人自身が問題を抱えることになります。
自分自身が苦しむことになるでしょう。
潔く「盗まない」と決め、それを徹底することで得られる本当の豊かさは、想像以上に素晴らしいものです。
以下、「八部門」について「パタンジャリとシッダのクリヤヨーガスートラ」から抜粋します。
ヤマに含まれる”不盗”について
第2章30
ヤマ(社会的制約)は、非暴力、正直、不盗、貞操、欲張らないことである。不盗は、自分のものではないものを取らないということです。
盗みは意識を曇らせ、我々の本質である和合を見えなくします。
ハートを閉じさせ、利己的な傾向を助長し、我々を真我実現の道から逸(そ)れさせます。
盗みは、欲望に直面した時の恐れと弱さの現れです。
これに浸りきると、自省ができなくなり、否定的な力に囚われやすくなってしますます。不盗を徹底し成し遂げた者には、以下のことが起こります。
第2章37
豊かさは、不盗が確立したすべての者にもたらされる。不盗が確立した時にヨーギーに豊かさがもたらされます。
我々が自分のものではないものを欲しがり、その欲望に基づいて行動すると、盗みが起こります。
広い意味で言えば、ここには、欲張り、自分に欠けているものを空想することや、豊かであるにもかかわらずため込むことも含まれます。パタンジャリは、水の流れと同じように、自然は我々を通して流れることを求めていること、
つまり我々が欲張ったり、ため込んだりすると、神は施(ほどこ)しを他のところに向けてしまうということを我々に思い出させてくれます。もっと簡単に言えば、「受け取るよりも与える方がよい」ということです。
というのは、我々が与える時、我々は宇宙が我々にもっと与えてくれること、宇宙が我々を通して機能することを認めるからです。最終的には、カルマ・ヨーギーのように、自分が行為者でないことを知ります。
成し遂げられたことに対して手柄を得ようとしなくなります。
手柄を横取したり、独り占めしようとはしなくなります。不盗が確立すると、仕事に精を出します。
つまり、緊張することなく、見返りも求めず、注意を払って事を為すことに集中します。
富のすべては無私とともにもたらされます。
神の祝福、平安、周りの環境に左右されない精神的安らぎ、魂の喜びという本当の豊かさをもたらしてくれる4つのものが与えられます。「見返りを求めずに与えることができるだろうか」という言葉についてよく考えることが修練になります。
参考文献
・ババジと18人のシッダ
・パタンジャリとシッダのクリヤヨーガスートラ