ヴェーダ聖典について、「インドの聖典」(著・ムニンドラ・パンダ/(有)アートインターナショナル)よりご紹介します。
私は誰か
ヴェーダ聖典の最後の部分、ウパニシャッドは「私は誰か」という問いかけから始まります。
インドの聖典では、自己を悟ることこそが最も重要で最優先の課題です。
普段私たちが自分だと認識している、自分の体、名前や年齢、経歴などは、肉体の死と共に消えゆくものです。
それは真の自己認識ではありません。
真の自己とは、魂であり、それは意識と知識の集合体であり、永遠なる存在であり、絶えることのない至福です。
生まれ変わったとしても、この真の自己は永遠に残り続けます。
死んだあとどこに行くのか。
なんのために生まれてきたのか。
何をなすべきであるのか。
今、何を行っているのか。
多くの人はこのようなことを考えず、今を生きています。
そして理不尽な出来事に不満を抱き続けます。
経済的に豊かな者、困窮している者、病気がちな者、幼いうちに命を落とす者、災害に遭う者。
なぜこのような差別が生まれ、なぜ困難がふりかかるのか。
このような問いに答えてくれるのが、ウパニシャッドです。
自己を悟ることこそが人生の真の目的であると、ウパニシャッドでは説明されています。
自己を悟ることは、探求を続けて、自分自身で気づきを得ることを繰り返すことで、徐々に成し遂げられていきます。
ウパニシャッドはインド哲学の基盤です。
智慧は死後も持参できる
私たちは、死後蓄えた財産を持っていくことはできませんが、智慧とカルマは持ち越すといわれます。
「魂である自己は二つの翼で羽ばたいていきます。
その両翼のうちの一翼はジュニャーナ(智慧)で、もう一翼はカルマ、すなわち今生において行った行為です。
ジュニャーナ(智慧)とは、人生の真の目的に向かって意識的に生きた経験を精製してしぼりだした智慧です。」
物質的な財産は、この世に残したまま旅立ちますが、この世で得た真の財産である智慧は、それを持って旅立つことができます。
ウパニシャッドは、この目的を成し遂げるためにあります。
ウパニシャッドを読むことは、真の自分自身を知ることに等しいのです。
ヴェーダ聖典を学ぶべき理由はここにあります。