ヴェーダには「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という考え方があります。
梵とはブラフマンであり、ブラフマンは宇宙の根本原理を表し、宇宙のあらゆるものはこのブラフマンから誕生したと考えられています。
我とはアートマンであり、個の根源を表し、真我とも訳されます。
梵我一如とは、宇宙の本質と個の本質は同じであるという意味です。
宇宙のすべてを司るブラフマンは不滅であります。
梵我一如であるがゆえ、アートマンも同様に不滅であり、肉体が死を迎えても、魂は存続します。
そして自分の本質であるアートマン、真我はつねに至福にあふれた純粋な魂です。
また、真の自己を知ることにより、世界も知ることができるようになります。
なぜなら真の自己と、宇宙の根本原理であるブラフマンは同一であるからです。
すべては一つのブラフマンであるという考え方を一元論と呼びます。
私も私の味方も、敵だと認識する人も動物も植物もすべては一つのブラフマンであり、好き嫌いの感情を抱くことや、自分と他者を区別をしているのは自分の誤った認識が原因だと考えられています。
それゆえ心を浄め、幻想を捨て、真の自己を悟る道がヴェーダで示されています。
さらにヴェーダには、この世のすべての知識が含まれていると云われます。
ヴェーダは大きく分類すると二つに分かれ、一つは宇宙における不変の法則で、もう一つはこの人生を生きるための知識です。
人生を生きるための知識は、種子という形でヴェーダの中に存在します。
ヴェーダを学びその種を自分の中に植えて育てることで、それは大樹へと成長する仕組みになっています。
自分自身を知ることがヴェーダの究極の目的です。
自分自身を知るとは、真の自己を悟ることであり、これは人間だけにできることであります。
動物は本能に従うことはできますが、己を知るという機会に恵まれていません。
ヴェーダを基盤として仏教を興したお釈迦様は、人間として肉体を得た時に真の自己を探求し、仏の境地に昇りつめました。
多くの人は、せっかく人として生まれる機会を得ても、物や金銭をいかに手に入れるかに腐心し、人間関係に神経を消耗して年を取ります。
叡智を学ぶ時間、智慧を育む時間は無いに等しい状態であり、その結果輪廻転生を繰り返します。
真の自己探求を続け、様々な気づきを経てそれはようやく智慧となり、この智慧こそが、肉体の死後も残り続ける本当の財産です。
自己を悟ることで、人生の困難を軽々と乗り越えていくことができ、そして生きる意味が明確になります。
さらにカルマをも超えていけるようになります。
参考文献
・インド思想入門 ヴェーダとウパニシャッド/前田専學/春秋社
・インドの聖典(著・ムニンドラ・パンダ/(有)アートインターナショナル)