神が記したマハーバーラタ
第五番目のヴェーダとして、大変重要な存在であるインドの叙事詩「マハーバーラタ」。
その作者は、偉大な聖者ヴィヤーサです。
ヴィヤーサは、後世の人々のために、口伝であったヴェーダを書き記した聖人として知られています。
忘れ去られそうになった膨大なヴェーダを、ヴィヤーサは四部に分けて編纂しました。
その後、ヴィヤーサは物語を書き記したいという思いに駆られました。
ヴェーダの難解な真理を、人々にも理解できるように具体的に分かりやすいように伝えたいと。
しかし当時はヤシの葉に針で刺しながら文字を刻むため、一文字書くのも困難でありました。
そのため、膨大な文字数を記すにはとてつもない労力が必要です。
ヴィヤーサのこの思いを好ましく思った神々がネーシャ神を遣わせました。
そしてガネーシャ神に書き取らせることにしました。
ガネーシャ神はヴィヤーサが休むことなく語り続ける事を条件として書記を引き受けました。
それによって、人間の偏見が混じらないようにと。
またヴィヤーサは、内容に完全に満足したうえで文字に起こすことを条件としました。
そのことによって、物語が神意にかなうものになるようにと。
膨大なマハーバーラタは第十八巻からなります。
人間が考えうる限りの知識が納められているといわれます。
マハーバーラタは、非常に面白い書物であります。
古来ヴェーダの智慧がとても分かりやすく説明され、物語の姿をとって語られています。
読み進めるうちに、今も昔も変わらないこの世の法則、真理というものが理解できるようになります。
登場人物の言葉をご紹介します。
「人々が幸せになるのも不幸せになるのも、自分自身が善い行いをするか悪い行いをするかによって決まるのじゃ。」
カルマの法則を伝えています。
善き行為をした結果「快」が訪れ、悪しき行為をした結果「苦」が訪れる、と。
また、怒りを制することが大変重要であると伝えています。
「隣人の悪口を我慢強く耐える人は世界を制す。
騎手が馬を御(ぎょ)するがごとく、自らの怒りを抑える人こそが真の御者(ぎょしゃ)であり、ただ手綱(たづな)をとり馬の行くままにまかす人は御者にあらず。
蛇が皮を脱ぎ捨てるがごとく自らの怒りを捨てる人こそ、真の勇者なり。
他人によって最大の苦痛を与えられたにもかかわらず、少しも心の動揺せぬ人は、己が目的を達成する。
決して腹を立てぬ人は、聖典できめられた犠牲祭を何百年にわたって忠実に執行する形式主義者より、はるかにすぐれている。
召使も、友も、兄弟も、妻子も、徳も真理も、怒りにまかせてしまう人からはすべてが離れていってしまう。」