幸せになる哲学②

アランの「幸福論」は、深い洞察に満ちており、幅広いテーマを論じています。

いくつかご紹介します。

心、気分は、体の影響を強く受けるとアランは述べています。
そのため心の病気であれ、体の病気の初期症状であれ、リラックスすることと体操とが必要であると。

たとえば、優しさやよろこびのしぐさをするならば、憂鬱な気分や胃の痛みもかなりのところで治ってしまうものだ。
お辞儀をしたり微笑んだりするしぐさは、まったく反対の動き、激怒や不信、憂鬱を不可能にしてしまうという利点がある。

お祝い事などは幸福を演じてみるチャンスである。まちがいなく我々を悲劇から解放する。

また、途方もない楽しみをもたらすのは行動であると語りました。

人間は快楽よりも行動を愛する。
その行動とは、規律のある規則正しい行動、そして何にもまして正義のための行動である。
そこから、結果として、途方もない楽しみが生まれるであろう。

しかし、行動が楽しみを追い求めるものだと思うのはまちがいである。
なぜなら、楽しみというのは行動にともなって生まれるものだから。
愛の悦びは快楽の愛を忘れさせる。
そのようにできているのだ。
この大地から生まれた子は。

自分で積極的に行う仕事こそ、人の一番の喜びであると続けます。

自分でやること。人にやってもらうのではない。
そこにはよろこびのいちばん深い意味がある。

自分でつくる幸福というのは決してだまさない。
それは学ぶことだから。
だからアリストテレスはあの驚くべき言葉を吐いている。
真の音楽家とは音楽を楽しむ者のことであり、真の政治家とは政治を楽しむ者のことである、と。
「楽しみは能力のしるしである」と彼は言うのだ。

何事をやるにしても、ほんとうの進歩を示すものは、人がそこでどんな楽しみを感ずることができるかである。
そこからわかるのは、仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこびであることだ。

わたしが言っているのは、自分で自由にやる仕事のことで、それがつまり、能力を示すわざであると同時に、能力が出てくる源でもある。
くりかえすことになるが、人にやってもらうのではない、自分でやることだ。

多岐にわたり論じられているため、自分が欲しい答えがみつかるかもしれません。

ぜひご一読ください。

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