正中心を生きる~①思いやりの矛盾

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自分が困っている時に、他人のさりげない優しさを受けると、人は自分だけでなく他人に生かされていることを痛感します。

『あっ、危ない!』と思った瞬間にさっと差し出された手のひらと、なんの見返りも求めずに去っていく後ろ姿は何年経っても忘れられません。
見返りを求めないさりげない優しさには、人を生かす力があると思います。

思いやりとは?

日本人の持つ美徳の一つである思いやり。
思いやりとは、辞書で調べると
① 他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。
② 想像。推察。
③ 思慮(注意深く心を働かせて考えること)。分別(道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き)。
とあります。
つまり、誰かを思いやるという行為は、相手の気持ちを推し量り、こう思っているのであろうと相手の気持ちを考えること、同情することだと書かれています。
そして私たちは思いやりをもって人に接することの大切さを教えられてきました。
思いやるがある人は以下のような行動をするものだともいわれます。
1.時には自分を犠牲にしてでも他人を優先する。
2.相手を傷つけないように言葉を選び、自分の本当の気持ちを言わずに飲み込む。
3.嫌いな人に対しても、そのことを相手にさとられないように丁寧に応対する。
4.かわいそうな人がいたら、自分のことのように考え、助けようとする。
5.どんなに辛くても笑顔でいる。
思いやりを持つことは、人として正しい行為だと私たちは教育されてきました。
また上に書かれていることは、世間一般で言われる“いい人”の特徴でもあります。

いい人が見落としていること

しかし実際に”いい人”が思いやりを持って行動すればするほど、苦しい状況に置かれることもまた事実です。人間関係が思っているようにうまくいかず、理不尽だと感じる出来事が自分の回りによく起こります。
“いい人”はなかなか文句を言えず、苦しい状況に追い込まれます。

“いい人”は人に頼られることも多々あります。
それを嫌な顔せず、思いやりを持って相手のために行動し解決しようと努めます。
やがて一つの問題をどうにか上手く解決できました。だけれど不思議なことにそれほど相手に感謝されません。
そして再び困った人に頼られ、自分が助けてあげようとして行動します。しかし何回も人を助けているのに、結果的に良い思いをするのは、この頼ってくる人たちだけのようにすら見えます。自分は損な役回りをしているように思えてきます。

『いつも仲良くしているママ友の子供を預かって夕飯を食べさせたら、それが当たり前になってしまって週に何回も頼まれるようになった。』

『困っている部下を助けたら、いつしかそれが当然になって感謝の言葉もない。好き勝手な行動が増えて、自分はなめられている気がする。』

良いことがおこらないばかりか、”いい人”に対する周囲の評価はそれほど高くありません。そして周りには次々に問題がおこり、頭を悩ませます。なぜ自分を犠牲にするほど思いやりをもって行動しているのに、評価もされず問題はなくならないのでしょうか?

“いい人”がしていることは人として正しいと教育されてきましたが、よく観察すると見落としていることがあります。
ここでは3つあげてみます。
① ”いい人”は自分を見失っている。
② ”いい人”は相手の気持ちが理解できていると思い込んでいる。
③ ”いい人”は本音で生きていない。

① いい人は自分を見失っています。
人の気持ちを考えること、人の立場に立って考えることばかりしていると、いつしか自分の本当の気持ちを見ないように感じないようにしています。そしていつしか自分を見失います。
その結果、本心では苦手な相手であっても、自分を殺して相手に合わせるうちに、まるで相手の僕(しもべ)のような立場になっていた、なんていうこともよくあります。

自分を見失っているひとは、思いやりを持とうと思っていない相手からすれば利用しやすいのです。自分に合わせてくれて、頼めばその通り行動してくれる人は、都合が良い人です。相手は“いい人”のことを自分の言うことを聞く人、都合が良い人と思い、結果として自分よりも格下の人間だと認識します。
その結果、評価は下がる一方です。
思いやりを持つことを大切にした結果が、評価の低さにつながるなんてことは誰も教えてくれません。
けれど、これが頻繁に起きているのです。

② 相手の気持ちが理解できていると思い込んでいる。
思いやりとは、相手の気持ちを推し量ること、考えることだといいますが、では人は本当に相手の気持ちを理解できているのでしょうか?

人は自分の経験を通してしか物事を見ることができません。
困っている人を見て、いい人は同調してしまいます。自分と相手との共通点を無意識に探して、自分を相手に置き換えています。つまり、相手に過去の自分の姿を見ているのです。

あの時の辛かった自分、困っていた自分、助けてほしかったのに助けてもらえなかった自分を思い出し、そんな過去の自分を助けようと、本能的に行動してしまいます。相手もそうに違いない。僕が(私が)助けてあげなくては、と。
ですが、これは自分の姿を相手に投影している行為であり、相手の気持ちを理解しているとは言えません。推察によって相手の気持ちを決めつけています。

こう思っているに違いない、と相手の気持ちを決めつける行為は、実は相手を尊重していないことと同じであり、相手を自分と対等に扱っていないことと同じになってしまいます。
すると相手は、思いやりの行為に対して不快感を抱きます。『放っておいてくれ。余計なおせっかいだ。』と。

自分が尊重されていないことを微妙に感じ取ってしまうのです。そして孤独感を深め、いい人に対して心を閉ざします。
あるいは、いい人を都合よく利用しようとします。

人の気持ちをわかっているつもりでも、人の本当の気持ちは誰にもわからないものです。

③ 本音で生きていない

これは①と内容がかぶりますが、人の気持ちを察し、人の立場にたって物事を考えていると、本音で生きることを忘れます。
嫌いな人に嫌だという態度をとれず、上司の理不尽な命令に文句も言えず逆らえず、困っている人の要望も断れず…。まるで波の中をクルクルと漂う枯れ葉のようです。自分以外の人の要望にばかり応えようとすると、人のわがままに振り回されます。続けているうちに、どれが自分の本音なのかすらわからなくなります。
自分という中心からずれて、自分が正しいと思うことを他人に伝えられない人は、発信力が弱く、”人のいいなりな人”、”仕事を任せられない人”、”頼りない人”と思われる原因になります。わがままな人の方が、なぜか評価が高く、周囲の人たちにチヤホヤされているのは、わがままな人の方が、自分の中心に近い場所で言葉を発していて、発信力が強いからです。

以上から考察するに、思いやりにも2種類あることがわかります。
一つ目は、そのようにしなさいと教育されてきた悪き思いやりです。
今までの教育で教えられてきた思いやりは、この悪き思いやりです。道徳的に考えなくてはいけない、困っている人は助けなくてはいけない、誰に対してもいつも優しくしなくてはいけない、自分より他人を尊重しましょうと、いう日本人が美徳とする思いやりです。
このような思いやりの行動をとると、自分も相手も不幸になるという負のジレンマに陥りやすくなります。

反対によき思いやりとは、人を生かし応援する力があります。

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