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心理学の三大巨頭、アルフレッド・アドラー
アルフレッド・アドラー(1870年~1937年)と言えば、2014年「嫌われる勇気」(ダイアモンド社)がベストセラーとなり、日本国内でもその名を知られるようになったオーストリアの精神科医、心理学者です。
世界で初めて児童相談所を設立しました。
しかし、かつてフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠とされながら、アルフレッド・アドラーの名前は最近まで知れわたってはいませんでした。
アルフレッド・アドラー
「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」(ダイアモンド社)著者の小倉氏によると、アドラーがその功績に比べて無名であった理由は次のようなものだということです。
・論文や著作を残すことが少なく、理論が体系化される前に亡くなってしまった
・フロイトらと異なり、学派の弟子たちを強固に組織化しなかった
・ナチスドイツのユダヤ人迫害により、アドラー派の多くの人々が殺されてしまった
デール・カーネギー氏、コーチングやNLPの多くにもアドラー心理学の影響が見られます。
ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった、「言語を絶する感動」と評された世界的ベストセラー「夜と霧」。
1946年の初版以来、発行部数は英語版だけでも900万部に及びます。
その著者であるヴィクトール・E・フランクル氏もこのアドラーに師事していた精神科医、心理学者です。
ヴィクトール・E・フランクル
フランクル氏がユダヤ人施設に収容されながらも、数々の困難を乗り越え、奇跡的に最後まで生き残ることができたのは、このアドラー心理学を熟知し、それが自らの行動の支えとなったからこその結果ではないでしょうか。
人生に奇跡を起こすアドラーの数々の名言
「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」(ダイアモンド社)からアドラーの名言と著者の小倉広氏の解説をご紹介したいと思います。
人生が困難なのではない。
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生は、きわめてシンプルである。
現在の人生を決めているのは「運命」や「過去」のトラウマではなく、自分自身の考え方である、ということです。
だからこそ、私たちはいつでも決意さえすれば、自分の人生をシンプルにすることができるのです。
「人生を困難にしている」のをやめればいいのです。
「親が悪いから」
「パートナーが悪いから」
「時代が悪いから」
「こういう運命だから」
責任転嫁の典型的な言い訳である。
言い訳をして責任転嫁すると。その一瞬は気持ちがラクになります。
親が悪い、上司が悪い、部下が悪い、配偶者が悪い、社会が悪い。だから自分は悪くない。
心がスッと晴れることでしょう。
しかし、それは一瞬のことでしかありません。
自分の不幸を境遇のせいにして嘆いていても何ら事態は好転しません。
自らアクションを起こすことでしか運命は好転しないからです。
遺伝や親の育て方を恨んでも、何一つ変わらないでしょう。
過去を受け入れ、前提条件とみなしていくしかありません。
理解の無い配偶者や上司に責任転嫁しても問題は解決しません。
責任転嫁をされた相手は余計に反発してあなたに辛くあたるでしょう。
人は過去と他人を変えることはできません。
自分自身の考え方や行動を変えることでしか、未来を変えることはできません。
そして人は誰もが自らを変える力を持っている。
つまりは未来を変える力を持っているのです。
ですから、いつまでも目の前の課題から逃げ続けるわけにはいきません。
必ずどこかのタイミングで自分事として向き合う必要があるでしょう。
正面から向き合って根本治療しなければならないのです。
「みんなが私を嫌っている」
「今回ダメだったから次もダメだ」という思い込みは冷静に立証すれば消えていく。
人は誰しも劣等感を持っています。
過度な劣等感は健全ではなく、克服する必要があります。
では、過度な劣等感とはどのようなものでしょうか。
アドラーは過度な劣等感につながる、自虐的で自らの成長を阻む間違った思考のことをべーシック・ミステイク(基本的な誤り)と呼びました。
「今回ダメだったから次もダメに違いない」
「クラスのみんなが私を嫌っている」
「友達が笑っているのは、私をバカにしているに違いない」
など。
これらは明らかに行き過ぎた思い込みであり不健全です。
今回ダメだからといって、次回もダメな確率は100%ではありません。
冷静に考え直してみれば、失敗の確率は5分5分かもしれません。
クラスの全員が自分を嫌っている、ということはほとんどありえません。
冷静に自分を嫌っている人の名前をあげていけば、実は、たかだか5~6人であることに気づくでしょう。
ベーシック・ミステイクを克服するためにはこのように、一つひとつの思い込みに対して冷静に証拠をあげたり、数字で確かめることが有効です。
そうすれば、それが過度な思い込みであることに気づくはずです。
それを積み重ね、繰り返すことにより、自分の思い込みの癖に気づくことでしょう。
そして少しずつ、過度な劣等感が克服されていくでしょう。
甘やかすと相手の勇気を奪ってしまう。
手助けしたり、ちやほやするのではなく、独り立ちの練習をさせよ。
もしも、子供が泣きわめくたびに、親が抱き上げ機嫌をとることを繰り返せば、子供は「泣けば甘やかしてもらえる」ことを憶えるでしょう。
また「自分はちやほやされて当然である」と思うでしょう。
大人になってからも、「泣いたり怒ったりすることを通じて、すべてを手に入れられる」と、その性格を使いつづけるのです。
しかし、感情だけがものごとを達成する唯一の方法ではありません。
にもかかわらず、大人になってからも泣いたり怒ったりして人を動かそうとする人は、内面的に幼稚なままだといえるでしょう。
子供を育てる時も、社員を教育する時も同じです。
独り立ちの練習をさせることこそが、その人が育つことになるのです
妻の機嫌が悪い時に、夫は責任を感じてはいけない。
不機嫌でいるか上機嫌でいるかは、妻の課題。
その課題を勝手に背負うから苦しいのだ。
妻がふさぎこんでいるのを見て、夫が機嫌を取ろうとしています。
妻を幸福にできない自分が無能であるかのように思え、自分の価値を否定された、と感じてしまうからです。
「ドライブに行こうか?それとも散歩しようか?」
しかしどのように提案しても妻は「出かけたくない」と拒絶します。
そんな妻に夫はだんだんイライラします。
そしてついには怒り出しました
「こんなに気を遣ってやっているのに、なんでお前はわからないんだ」
そしてその日、二人は最悪な気分で過ごすことになるのです。
このケースの場合、夫は妻の機嫌や感情を自分の思い通りにコントロールしようとしています。
まさに妻の課題に土足で踏み込んでいる、と言えるでしょう。
では、妻が不機嫌であるのを見た時に、夫がイライラしても、グッとこらえて何も言わずに我慢したとしましょう。
この場合、夫の問題は解決したでしょうか。
いいえ。
それでもまだ、夫には問題が残ります。
「相手がどのように感じるか」は「相手の課題」です。
しかし、それを自分の責任であるかのように背負い込んでいる時点で、夫はまだ「課題の分離」ができていないのです。
相手の課題に責任を感じてはいけません。
相手の課題を勝手に背負うから苦しくなる。
相手との間に線を引き、明確に分離することが必要なのです。
陰口を言われても、嫌われても、あなたが気にすることはない。
「相手があなたをどう感じるか」は相手の課題なのだから。
私たちが他人の感情や行動をコントロールすることはできません。
できないことをしようとするから苦しいのです。
相手の課題に踏み込まず、自分の課題に相手を踏み込ませなければいいのです。
相手があなたを評価するかどうかは相手の課題です。
たとえ陰口を言われたとしても、あなたが間違っているとは限りません。
自分が正しいと思うことを続ければいいのです。
他者からどう思われるかを気にするから苦しくなる。
課題を明確に分離すればいいのです。
「課題の分離」ができるようになったとき、それは幸福な人生への第一歩です。
あなたの心は軽くなり、対人関係をぐんと改善することでしょう。
人生に革命がおこる瞬間です。