Views: 378
昨今のスピリチュアルの流行に伴い、「ありのままのあなたでいい」、「頑張る必要はない」という文言をよく見かけます。
果たして本当にありのままで良いのでしょうか?
ありのままで頑張らないで、人も物事も良くなるのでしょうか?
自分の事だとわかりにくい場合は、他人に置き換えてみると見えてきます。
・あなたや周囲の人をいつも困らせているトラブルメーカーのあの人。
・自分さえ良ければ良いと、他人から搾取し、敵をつくりつづけている人。
・嘘や噂をまき散らし、人を陥れていじめている人。
・人を不幸に巻き込んでおきながら、自分が助かったらあとは知らん顔して、不幸に巻き込んだ人をそのままに、ぬくぬくと暮らしている人。
・借金を連帯保証人におしつけて、逃げおおせている人。
上記のような人物は、ありのままで頑張らなくて良いのでしょうか?
そんなはずはありません。
上記のような人は、いじめたり不幸を味合わせた相手から直接反撃を受けなくとも、いつか巡り巡って不幸が何倍にもなって自分に返ってくるでしょう。
因果応報です。この時代そのスピードはますます速くなっています。
ではどうすれば、上記のような人は変化するのでしょうか?
それは、本人がいつか逃れることができないほどのどん底を味わい、自分の愚かさに気づき、変わりたいと強く願うことによって変化し始めます。
周囲の人がどんなに助言し、叱り、罰せようとも、本人に「変わりたい」という意思がなければ全く変わりません。
犯罪を犯して捕まっても、本人が反省しなければまた犯罪を繰り返すでしょう。
自らの力で変わろうと頑張るしか、人が変わる方法はないのです。
人は磨けない
金剛石を使って研磨すれば宝石をつくりだすことができる。
しかし、人についてはそうはいかない。
心の濁りに濁った人を練磨して清らかな人にすることはできない。
その人自身が自己を清らかにするしか手立てがない。
誰か他人がその人を清らかにすることはできない。
ウダーナヴァルガ 第28章 「超訳 仏陀の言葉」より
このことからも、”ありのままのあなたでいい”という言葉は、魂の成長には全く役に立たないことがわかると思います。
上記の人のように極端な例でなくても、”変わりたい”と強く思い、自分で自分を幸せにするしか、より幸せになる方法はないのです。
痛みがともなわない成長はありません。何もせずに今すぐ幸せになれる方法も、残念ながらありません。
ここで質問です。
あなたは、”自分は幸せだ”と言い切ることができますか?