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私たちは、日常生活で喜びや悲しみ、快感や不快感など様々な感情や感覚を体験します。
しかし、長期の断食を経験すると、精神状態は非常に穏やかなまま安定し、さらに食物に依存しない生命力がそこに存在していることに気づきます。
前回に引き続き、パラマハンサ・ヨガナンダ師の講和集(人間の永遠の探求)より、一部抜粋してご紹介します。
「人間の生命は肉体には全く依存しない」
肉体は、生命の鳥がしばらくの間住む、肉に包まれた骨の鳥かごにすぎません。
生命そのものは、肉体に全く依存しない、完全に自由な存在です。
しかし、肉体に宿って肉体の限られた条件を自分のものと錯覚するようになったため、それに束縛されるようになったのです。
心と肉体を分析してみると、両者が結び付けているのはあなた自身であって、それ以外に両者を関係づけるものは何もありません。
あなたは、昼間は肉体の感覚を受け入れますが、夜眠ると心は肉体から離れ、感覚から解放されて深い平安を感じます。
神の似すがたにつくられた人間は、肉体の感覚を完全に切り離して肉体の中に住むこともできます。
しかし、感覚が接続していると、肉体の条件を自分自身の条件として受け入れてしまいます。
感覚に邪魔されないようにするには、自分の心を肉体から切り離さなければなりません。
聖者たちが、心を制御して自分を快感や苦痛から分離するよう教えるのはそのためです。
この精神的超越を理解し、経験するには実地の訓練が必要です。
私はこの真理を、自分の体験で実証しました。
ですから、感覚に過敏であることがいかに有害であるかをよく知っています。
感覚を甘やかすことは、あらゆる苦痛や不幸の原因です。
神には、人間を苦しめようという意図は全くありません。
神がわれわれに感覚という知覚機能を与えられたのは、われわれを導くためと、“心で観る映画”を鑑賞させてわれわれを楽しませるためです。
神は、われわれが肉体という道具を賢明に用いながら、自分を苦しめるほどにはそれに同化しないことを望んでおられるのです。
聖フランシスは、自分の肉体のことを「ブラザードンキー」(わが兄弟のロバ)と呼びました。
もし人がペットの犬にあまりにも深い愛着を持つと、神経が繋がっていないにもかかわらず、ペットの感覚を自分の感覚のように敏感に感じるようになります。
それと同様に、われわれが肉体の痛みに敏感なのは、自分の“ブラザードンキー”に愛着を持ち過ぎているからです。
あなたがたが、もっと心で肉体を制御できるようにならなければなりません。
精神力で生きられるということは、何でも思いのままにできるということで、すばらしいことです。
もっと精神力に頼る訓練をしなさい。
初めはまず、暑さや、寒さや、固いベッドに慣れるようにし、少しずづ従来の安逸から抜け出しなさい。
私は、こうして話をしながらきょうのこの暑さを今まで全く忘れていましたが、今暑さの話をして少し感じはじめました。
しかし、以前私がミルウォーキーで講演したときはもっと暑い日でした。
おまけに、からだの中からも熱さが噴き出してきました。
私は、霊的な話をするときはいつもからだが熱くなるのです。
私の心は、「顔の汗を拭かないと、びしょびしょで話が続けられないぞ」と私に言いました。
私は、ポケットに手を入れてハンカチを取り出そうとしましたが、あいにくありませんでした。
そこで私は、霊眼を見つめて心に言い聞かせました。
「暑さなんかどこにもない!」
するとその瞬間、私を悩ませていた暑さが消えて、私は落ち着き、涼しくなりました。
私の言っていることがうそかどうか、自分で実行して試してごらんなさい。
あなたは、感覚に敏感になることによって苦痛を増すこともできれば、心をそれから切り離すことによって苦痛を減らすこともできるのです。