常陸国の神々・東国三社参り・鹿島神宮

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常陸国一之宮、武神鎮座の地・鹿島神宮の詳細探訪記

東国三社参りの第一歩として、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮を訪れた。深い歴史と豊かな自然に包まれたこの地は、まさに神聖な空間そのものであった。鹿島神宮の魅力は、単なる神社参拝にとどまらず、日本の建国神話、武道の源流、そして自然との調和といった、多様な側面から感じ取ることができる。

鹿島と鹿嶋の謎・地名に刻まれた歴史の記憶

鹿島神宮の「島」と鹿嶋市の「嶋」、この一見些細な違いには、実は興味深い歴史的背景が隠されている。地元民なら誰もが抱く疑問に、鹿島神宮に住まう霊験あらたかな猫・福太郎が答えてくれた。

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時は平成時代。Jリーグの誕生とともに鹿島アントラーズが躍進し、ホームタウンである鹿島町、神栖町、波崎町、大野町が合併する機運が高まった。新市の名称として「鹿島市」が最有力候補であったが、残念ながら佐賀県に既に同名の市が存在していたため、使用許可を得ることができなかった。

そこで白羽の矢が立ったのが、延喜式神名帳に記載されていた古名「鹿嶋」である。いにしえの記憶を呼び起こすこの名称は、新市のアイデンティティを確立する上で重要な役割を果たすこととなった。

さらに遡れば、鹿島は古代には「香島」と書かれていたという。時代とともにその姿を変えながらも、この地が神聖な場所として大切にされてきたことが、地名の変遷からも伺える。

御祭神・武甕槌大神の神威

鹿島神宮の御祭神は、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)である。神代の昔、天照大御神の命を受け、香取神宮の御祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)とともに、出雲の国に天降り、大国主命(おおくにぬしのみこと)と国譲りの交渉を成就させたという。日本の建国に大きく貢献した神として、古くから崇敬を集めている。

武甕槌大神は、武神としても知られ、剣術の神としても信仰されている。その勇猛果敢な姿は、多くの武士たちの心を捉え、鹿島神宮は武道の聖地として、その名を轟かせてきた。

ご由緒・神武天皇との出会いから現代へ

鹿島神宮の創建は、初代神武天皇の御代に遡る。神武天皇が東征の途上、窮地に陥った際、武甕槌大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われたという。この神恩に感謝した神武天皇は、即位の年に大神をこの地に勅祭したと伝えられている。

初代神武天皇

その後、鹿島神宮は東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良、平安時代には国の守護神として篤く信仰されるようになった。20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われ、その重要性が示された。

中世から近世にかけては、源頼朝、徳川家康など、多くの武将からの尊崇を集め、武神としての地位を確立していった。彼らは戦勝祈願や武運長久を願い、鹿島神宮に参拝し、多大な寄進を行った。

神域への入り口・摂末社が佇む場所

鹿島神宮の鳥居をくぐると、左手に摂末社が鎮座している。鳥居の奥は神聖な神域であり、一歩足を踏み入れると、空気が一変するのを感じる。冷気が身を引き締め、心身を清めるような感覚に包まれる。

ここに祀られている沼尾神社、坂戸神社の元々のお社は、鹿島神宮の近くにあったという。それぞれの神社の歴史を知ることで、鹿島神宮を中心とした地域の信仰の広がりを感じることができる。

国宝が眠る・新しく生まれ変わった宝物館

参拝時には建設中であった宝物館が、新しく生まれ変わった。この宝物館には、国宝であり日本最古最大の直刀(金銅黒漆平文拵・附刀唐櫃)である韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)をはじめとする、数々の貴重なご神宝が展示されている。

韴霊剣は、武甕槌大神が神武天皇を救ったとされる剣であり、鹿島神宮の象徴とも言える存在である。その圧倒的な存在感は、見る者を魅了し、古代のロマンへと誘う。

北向きの拝殿:徳川二代将軍の寄進

現在の社殿は、徳川二代将軍の秀忠により奉納されたもので、重要文化財に指定されている。珍しい北向きの拝殿は、その壮麗な姿で参拝者を圧倒する。

拝殿の奥にはご本殿が鎮座しており、武甕槌大神が祀られている。静寂に包まれた空間で、神聖なエネルギーを感じながら、日々の感謝を捧げ、平和を祈願する。

奥宮・徳川家康が奉納した茅葺の社殿

拝殿からさらに参道を進むと、突きあたり右手に奥宮がある。徳川家康により奉納されたもので、こちらも重要文化財に指定されている。茅葺(かやぶき)の屋根が苔むしており、歴史を感じさせる風情がある。

奥宮には、武甕槌大神の荒魂(あらみたま)が祀られている。荒魂とは、神の持つ側面の一つであり、勇猛果敢な力や、困難を乗り越える力を象徴するとされる。

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この奥宮は、1605年に本宮として徳川家康により奉納されたが、1619年に二代目秀忠公により本宮社殿が奉建されたため、この場所に移築された。

奥宮は、非常に力強い霊力に満ちていると言われている。鹿島神宮を訪れたならば、ぜひこちらに参拝し、武甕槌大神の荒魂から力と勇気をもらいたい。

要石・地震を鎮める神の力

奥宮のさらに奥には、要石(かなめいし)に続く参道がある。100メートルほどの参道を歩くと、要石をお祀りしている鳥居と柵が見えてくる。このあたりは鹿島神宮の中でもひときわ気持ちの良いイヤシロチ(癒し地)であり、心身ともにリフレッシュできる。

要石は、鹿嶋市に地震が少ない、起きても被害が少ないのは、この要石を鹿島神宮の神様が抑えているからだと言われている。

鹿島神宮の七不思議の一つである要石は、地上に出ている部分は直径40cmほどの小さな石だが、これは巨大な要石の一部だと言われている。要石の下にはナマズがいて、ナマズのせいでこの地方は地震が多かったのだが、それをこの要石で押さえつけることで、地震が起きても被害が少なくなったと言われている。

昔は龍や大蛇が要石を押さえつけているとも言われていた。

水戸黄門として知られる徳川光圀は、この要石の根本を確かめたくて掘り返してみたのだそうだが、掘っても明くる日には元に戻ってしまい、七日続けても石の根本を確かめられず、やむを得ず中断したという逸話が残っている。

御手洗池・清らかな湧水が織りなす神秘

奥宮まで戻り、左手の階段を降りると、「御手洗池(みたらしのいけ)」がある。御手洗池には一日に40万ℓもの水がこんこんと湧き出しており、その水は大地から長い時間をかけて染み出すという。水底が見渡せるほど澄んでいて、神秘的な雰囲気を醸し出している。

この御手洗池では毎年1月に大寒禊(だいかんみそぎ)が行われる。白い鉢巻きと男性はふんどし、女性は白衣を身につけ、この池に身を沈め、禊を行う。極寒の中で行われる禊は、心身を清め、新たな年の始まりを迎えるための神聖な儀式である。

まとめ:鹿島神宮が与えてくれるもの
鹿島神宮は、日本の建国神話に深く関わる武甕槌大神を祀る、歴史と伝統に彩られた神社である。その神聖な空間は、訪れる人々に静けさと安らぎを与え、日々の喧騒を忘れさせてくれる。

鹿島神宮を訪れることで、私たちは古代から続く日本の歴史と文化に触れ、武道の精神を学び、自然との調和を感じることができる。そして、武甕槌大神の力強い御神徳を授かり、困難を乗り越え、新たな一歩を踏み出す勇気をもらうことができるだろう。

東国三社参りの第一歩として鹿島神宮を訪れたことは、私にとって忘れられない経験となった。この旅を通して、日本の神社の奥深さを改めて認識し、新たな発見と感動を得ることができた。次に訪れる香取神宮、息栖神社への期待を胸に、私は鹿島神宮を後にした。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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