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東京都新宿区の神社めぐり
かつての新宿総鎮守
東京新宿鎮座・花園神社
(東京都新宿区新宿5-17-3)
花園神社は新宿三丁目駅から徒歩0分です。
花園神社縁起
花園神社は、江戸開府(1603)よりも前から新宿の総鎮守としてお祀りされていました。
大和吉野山より勧請されたと云われています。
花園神社は寛永年代(1624~1644)までは今の新宿伊勢丹デパートの付近にありました。
が、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を譲り受けたため、神社は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまいました。
そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を譲り受けました。
その場所は、徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷(13万6千坪もある広大なお屋敷)の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。
この美しい花園に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。
境内は、心落ち着く空間です。
大都会である新宿の真ん中にこのような場所があること自体が奇跡のようです。
拝殿はとても華やかで、背中をドンと押してくれるような前向きな力を感じます。
新宿の総鎮守として、新宿の街を発展させてきた力の源がここにあります。新宿の守護神です。
また花園神社と言えば芸能の神様でもあります。
ご祈祷にも”ヒット祈願”という項目があり、境内にある芸能浅間神社の前には様々なアーティストの芸能成就の札がかけられています。
芸能の神様とされる由縁は、神社再建と関りがあります。
江戸時代、宿場町としての新宿が栄えるとともに、花園神社は総鎮守として多くの人々の信仰を集めていましたが、大火によって社殿がたびたび焼失しました。
安永9年(1780)と文化8年(1811)に、焼失した社殿を再建するために境内に劇場が設けられました。
見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。
花園神社と芸能の縁は、この頃から始まりました。
戦後、甲州街道と青梅街道が交差する開かれた街「新宿」は、雑多なエネルギーに満ちた新しい文化の発信地になりました。
唐十郎のテント芝居が行われるなど花園神社は、そうした文化を育む役割も担ってきたのです。
芸能の起源が神事であるように、花園神社と新宿の文化もまた、密接に結びついているのです。
人気運を高めたい人はぜひ花園神社にご参拝下さい。
宮司さんの心遣いが感じられる神社です。