願いが叶ったその先へ
この世で人々はそれぞれの願望を持ち、叶えようと奮闘します。
運良く全てを手中にし、自分にとって理想的な現実を手に入れる人もいるでしょう。
しかし願望がすべて叶ったその後、漠然としたつまらなさを感じている人もいるかもしれません。
どうすれば心からの幸せ、満足感を手に入れることができるのかと。
ですが、時間は有限であり、幸運に恵まれながらつまらないと過ごす時間は非常に勿体ないものです。
目を転じれば、そこには永遠に尽きせぬものが輝いています。
神の愛がいつもここにあることを知り、それを求めることで、その輝きを目にし、祝福されている喜びを知るでしょう。
パラマハンサ・ヨガナンダ師は、そのことについて次のようなエピソードを話されました。
消極的平穏と積極的平安
あなたは、りっぱな家に住んでいる裕福で、健康そうで、恰幅もよく、洗練された感じの人で、とりわけ幸福そうでも、悲しそうでも、退屈そうでもない人を見たら、たぶんその人の心は平穏だと思うでしょう。
しかし、この種の平穏に慣れてしまった人は、自分が数少ない好運に恵まれていることを忘れて、
「ああ、こんな平穏には飽き飽きした。何か面白い気晴らしになる事はないか」などと考えはじめます。ときにはまた、友達に、「おれの頭を殴って、おれが生きていることを感じさせてくれ」などと言うかもしれません。
こうした心の消極的平穏は、喜びも、悩みも、退屈もなくなったときに生じます。
しかし、変化も刺激もないこの状態が長続きすると、それにも飽きてきます。
消極的平穏が楽しく感じられるのは、喜びや悩みや退屈が長く続いたあとだけです。そこでヨギは、精神集中によって心の波を鎮め、それにより積極的平安を得ようとするのです。
すなわち、心の表面に揺れ動く想念の波を鎮めたヨギは、穏やかになった心の湖の底を凝視します。
するとそこに、魂の”常に新鮮な喜び“という積極的平安を見いだすのです。私はニューヨークで、一人の大変裕福な男に会いました。
彼は自分の人生を語りながら、得意そうにこう言いました。
「わたしは今、うんざりするほど財産もあるし、うんざりするほど健康ですよ」。私は、彼に皆まで言わせずにこう言いました。
「しかし、うんざりするほど幸福ではないでしょう? もし、あなたがお望みなら、いつも新鮮な幸福を永遠に味わう方法を教えてあげましょう」。そうして彼は私の弟子になりました。
それから、クリヤ・ヨガを実習し、バランスの取れた生活を送り、たえず心の中で神に奉仕するようになった彼は、ついに、常に新鮮な幸福感に浸りな
がら天寿を全うしました。臨終のベッドの上で、彼は妻にこう語りました。
「わたしを見送らなければならない君には気の毒だが、わたしは今とても幸せだ。
これから宇宙の愛するお方のところへ行くのだから。どうか自分のために悲しまないで、わたしのために喜んでくれ。
わたしが愛する神のみもとへ行くことをどんなに幸せに思っているかわかったら、君も悲しんだりはしないだろう。いつか君も旅の至福の宴の中でわたしと再会できるということ理解して、喜んでわたしを見送ってくれ」
「人間の永遠の探求」(パラマハンサ・ヨガナンダ)
◎人間の永遠の探求
聖者パラマハンサ・ヨガナンダが,自己実現同志会(SRF)本部などで行った講話の中から57講話を厳選し,この一冊に編集したもので,ヨガに関心のある読者にとっては貴重な一書です。理論面,実践面など,ヨガのあらゆる分野を理解することが出来ます.また,ヨガに関する用語についても詳しく言及しています。