ヨーガと宗教の違い
ヨーガにおいても宗教においても禁欲生活を送り、自らを神に明け渡すことが必要であると説かれますが、
ヨーガの道とゴール、宗教の道とゴールは全く異なります。
ヨーガでは、この世を離れて天国を探すことを求めたり、自らの経験よりも聖典や組織に信頼を置くということはしません。
この世で生活しながら、自分を浄化する方法を提供してくれるのがヨーガであり、
ヨーガは地図と共にプロセスを促進する道具を提供してくれます。
出家する必要もありません。
家庭にいながらにしてその道を究めることは可能であり、多くの先人が世俗的義務を果たし、家庭生活を送りながら自己を悟り神との合一を果たしました。
向上心と欲望は異なる
欲望はエゴから生まれます。
自分が特別であること、勝っていることをさらに強めるために欲望が生まれます。
しかし、欲望を完全に満たすことは不可能であるため、つねに不満や苛立ちを抱えることになります。
純粋な向上心は欲望の正反対にあります。
エゴに縛られることの欠点と不完全さをよく知っているため、エゴを手放そうとします。
向上心から起こる動きはすべてエゴから離れることに向けられます。
向上心は、魂から、神聖な愛や進歩を求める思いから生じます。
そこにいらだちや欲求不満は生じません。
向上心を持つには
段階的に高まるのが純粋な向上心です。
今までの習慣や何も知らないままに生きることに嫌気がさし、欲望を満たすことで満足感を得られなくなった時、多くの人は知りたいという思いに駆られます。
お釈迦様が「生老病死」という苦がある現実に直面した時、一国の王子である身分、地位、名誉、財産を捨てて出家したように、この世の真理を知りたいという、魂から来る思いから、人は答えを探すためにヨーガの旅を始めます。
「クリヤヨーガ:道を照らす光」から引用しています。
参考文献:「クリヤーヨーガ:道を照らす光」、「パタンジャリとシッダのヨーガスートラ」
◎クリヤーヨーガ:道を照らす光
「なぜババジのクリヤー・ヨーガの実践は必要なのか。
待ち受ける試練やその解決法は。
鍵は真の自己の知識とエゴの明け渡しにある。
だが実行にはしばしば助けが必要だ。
行法の実践者、未経験者の区別なく、すべての人を後押しする洞察あふれる書。」
◎パタンジャリとシッダのヨーガスートラ
「本書は、パタンジャリのヨーガスートラの他に類を見ない解説書となっている。各節の解説に加え、南インドの聖典ティルマンティラム(ティルムーラル著)とヨーガスートラを比較し、多くの類似点を示し、さらにはババジ・ナーガラージ(パラマハンサ・ヨガナンダ著『あるヨギの自叙伝』で有名)が現代に復興したクリヤーヨーガの技法との関連も示している。クリヤーヨーガの技法の意義を教えてくれる、あるいは再確認させてくれる本書は、クリヤーヨーガ実践者には必携の書である」