下総国の神々①東国三社参り・香取神宮

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東国三社参り・香取神宮 – 千葉の古社巡礼と霊験の旅

八龍神社を後にし、私たちは車を走らせ香取神宮へと向かいました。約20分ほどの道のり、緑豊かな田園風景が車窓を流れ、心身ともにリフレッシュされていくのを感じます。

香取神宮は、東国三社の一社として、古くから関東地方における信仰の中心地として知られています。東国三社とは、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の三社を指し、それぞれが強力な霊力を持つとされ、この三社を巡ることは、関東地方のスピリチュアルなエネルギーを体感する旅として、近年ますます注目を集めています。

香取神宮は、千葉県香取市に鎮座し、下總國(しもうさのくに)の一之宮として、この地の歴史と文化を深く見守り続けてきました。下總國とは、現在の千葉県北部と茨城県西部を領域とする旧国名で、北側は常陸國(ひたちのくに)と接しています。この土地は、古くから豊かな自然に恵まれ、農業が盛んな地域として発展してきました。香取神宮は、その豊かな恵みを人々に与え、守り導く神として、地域の人々の生活に深く根ざしてきたのです。

香取神宮 ・ 古代からの信仰を受け継ぐ聖地

(千葉県香取市香取1697-1)

香取神宮に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、境内に立ち並ぶ樹齢数百年の巨木たちです。これらの木々は、長い年月を経て、神社の歴史を見守り続けてきました。その姿は、まさに生きた歴史の証人であり、私たちに静かに語りかけてくるようです。

ご祭神 ・武神として崇められる経津主大神

香取神宮のご祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。またの名を伊波比主命(いはひぬしのみこと)とも呼ばれます。経津主大神は、日本神話に登場する武神であり、国土平定に大きく貢献した神として知られています。その勇猛果敢な姿は、古くから武士階級を中心に崇敬を集め、国家鎮護の神として、皇室からの御崇敬も最も篤いものでした。

その証として、香取神宮は、伊勢神宮、鹿島神宮と共に、『神宮』の御称号を明治以前から持つ、数少ない神社の一つです。この称号は、皇室との深い関わりを示すものであり、香取神宮が特別な存在として扱われてきたことを物語っています。

中世以降は、下総国の一宮として、地域の人々の信仰を集め、明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その格式の高さを示しました。昭和17年には、勅祭社に治定され、今日に至るまで、皇室からの特別な御神意を受け続けています。

奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、その尊崇の広がりは、経津主大神が、いかに多くの人々から信仰を集めてきたかを物語っています。

参道 ・日本庭園のような風情と迫力

香取神宮の参道は、幅広く、石畳が敷き詰められています。その両脇には、数多くの石灯篭が立ち並び、まるで日本庭園のような風情を醸し出しています。石灯篭の優しい光は、参道を歩む人々の心を穏やかに照らし、神聖な空間へと誘います。

参道を進むにつれて、周囲の木々はさらに深く生い茂り、空気はひんやりと澄み切ってきます。鳥のさえずりが聞こえ、風の音が木々を揺らす音が、まるで神々の囁きのように聞こえてきます。

参道の突き当りには、朱塗りの美しい総門が見えてきます。総門は、神社の入り口を守る門であり、ここから先は神聖な領域であることを示しています。その鮮やかな朱色は、訪れる人々の心を惹きつけ、期待感を高めます。

総門 ・神聖な空間への入り口

総門をくぐると、目の前には、さらに荘厳な楼門が姿を現します。

楼門 ・ 国の重要文化財に指定される香取神宮のシンボル

楼門は、国の重要文化財に指定されており、香取神宮のシンボル的な存在となっています。その美しい姿は、訪れる人々を魅了し、記憶に残る風景として、多くの人々に愛されています。

本殿同様、元禄13年(1700年)に江戸幕府によって造営されたもので、当時の建築技術の粋が集められています。三間一戸で、様式的には純和様で構築され、丹塗りが施されています。その鮮やかな朱色は、周囲の緑とのコントラストを生み出し、一層その美しさを際立たせています。

屋根は入母屋造銅板葺ですが、当初はとち葺でした。長い年月を経て、屋根の葺き替えが行われましたが、その美しい姿は、創建当時の面影を色濃く残しています。

楼門内には、随身像が安置されています。随身は、神を守る役割を担う像であり、その表情は厳かで、力強く、神聖な雰囲気を醸し出しています。

俗に左大臣右大臣と呼ばれていますが、正面向かって右の老人像は「竹内宿祢」、左の壮年像は「藤原鎌足」と伝えられています。竹内宿祢は、古代日本の伝説的な人物であり、藤原鎌足は、飛鳥時代の政治家として、大化の改新を主導した人物として知られています。これらの人物が随身として祀られていることは、香取神宮が、日本の歴史と深く関わってきたことを示しています。

また、楼上の額は、「東郷平八郎」の筆によるものです。東郷平八郎は、日露戦争で日本海海戦を勝利に導いた、明治時代の海軍軍人であり、国民的な英雄として知られています。その筆による額は、香取神宮の歴史に、新たな彩りを添えています。

狛犬 ・神社を守護する威風堂々とした姿

楼門をくぐると、威風堂々とした黒色の美しい拝殿が現れます。その姿は、訪れる人々を圧倒し、畏敬の念を抱かせます。

拝殿 ・国登録有形文化財の荘厳な建築

拝殿は、国登録有形文化財に指定されており、その建築様式は、当時の建築技術の粋を集めたものです。黒漆を基調とし、組物には極彩色が施され、豪華絢爛であり、重厚感があります。

神道においては、黒色は高位の色とされており、神聖な色として用いられます。その黒色の拝殿は、香取神宮の格式の高さを象徴していると言えるでしょう。凶事の(縁起が悪い)色は鈍色(にぶいろ・薄墨色・灰色)であり、黒色とは対照的に扱われます。

拝殿の中には、経津主大神の和御魂(にぎみたま)が祀られています。和御魂とは、神の穏やかな側面を指し、人々に恵みや安らぎを与えるとされています。

神聖な霊気に満ち溢れる空間

拝殿に足を踏み入れると、神聖な霊気が満ち溢れています。清らかな風が吹き、穢れを洗い流してくれるような、非常に爽快な気持ちになります。

拝殿の前で手を合わせ、日々の感謝の気持ちを伝え、心静かに祈りを捧げます。すると、心が洗われるような、清らかな気持ちになり、新たな力が湧いてくるのを感じます。

奥の本殿は、5代将軍徳川綱吉によって造営されました。徳川綱吉は、江戸幕府の基礎を築いた将軍であり、文化や芸術を奨励したことでも知られています。その徳川綱吉によって造営された本殿は、当時の建築技術の粋を集めたものであり、その美しさは、訪れる人々を魅了し続けています。

さらに旧参道沿いに、奥宮があります。

奥宮 – 荒御魂が鎮まる神秘的な空間

この辺りに来ると、空気ががらりと変わります。経津主大神の荒魂(あらみたま)をお祀りしています。荒御魂とは、神の荒々しい側面を指し、災いを払い、困難を乗り越える力を与えるとされています。

奥宮は、拝殿とは異なり、静寂に包まれた、神秘的な空間です。木々の緑が深く生い茂り、太陽の光を遮るため、薄暗く、ひんやりとした空気が漂っています。

強烈な霊力を放っており、その力は、訪れる人々に勇気と希望を与え、困難を乗り越える力を与えてくれるでしょう。

拝殿と奥宮の両方に参拝すると、運気が好転することを確信できます。香取神宮を訪れた際には、ぜひ拝殿と奥宮の両方に参拝し、その霊力を体感してみてください。

香取神宮は、古代から現代に至るまで、多くの人々に信仰され、愛されてきた神社です。その歴史と文化、そして神聖な霊気は、訪れる人々を魅了し、心の安らぎと力を与えてくれます。ぜひ一度、香取神宮を訪れ、その魅力を体感してみてください。きっと、素晴らしい体験となるでしょう。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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