人々に愛されるパワースポット~明治神宮~

国民の想いが結実した聖地・明治神宮 ・その歴史、自然、そして未来への祈り
原宿の喧騒を抜け、一歩足を踏み入れると、そこは別世界。都会の中心に位置するとは思えないほどの静寂と緑に包まれた空間が広がります。年間参拝者数日本一を誇る明治神宮。多くの人々が癒しを求め、心の安寧を願って訪れるこの聖地は、パワースポットとしても広く知られています。
しかし、明治神宮が単なる観光名所ではないことは、その創建の歴史を知れば明らかになります。明治天皇と昭憲皇太后を敬愛する国民の熱い想い、国家の復興を願う祈り、そして未来への希望が込められた明治神宮は、日本の精神文化を象徴する場所なのです。

1.明治神宮創建の背景・国民の熱意と国家の祈り
明治神宮は、第122代天皇である明治天皇と、その皇后である昭憲皇太后を敬い、その遺徳を偲ぶために創建されました。明治天皇は、日本の近代化を推し進め、国家の独立を守り抜いた偉大な指導者として、国民から深く敬愛されていました。日清・日露戦争を勝利に導き、列強の一員として世界に認められる国へと導いた功績は、今もなお語り継がれています。そして、昭憲皇太后は、社会福祉事業に尽力し、教育の普及に貢献するなど、国民に寄り添う慈愛に満ちた存在として慕われていました。

明治天皇が崩御されたのは、1912年(大正元年)のこと。その悲報は、日本全国を深い悲しみに包みました。国民は、明治天皇の偉業を称え、その御霊を慰めたいという強い想いを抱き、明治天皇を祀る神社の創建を求める声が、全国各地から湧き上がりました。

しかし、神社を創建するには、莫大な費用がかかります。当時の日本は、日露戦争後の復興期であり、経済的に豊かな状況ではありませんでした。それでも、国民は、明治天皇への感謝の気持ちを形にするために、寄付活動を積極的に行いました。老若男女を問わず、人々は日々の生活を切り詰め、わずかなお金を寄付しました。その熱意は、政府をも動かし、国を挙げての神社創建へと繋がっていったのです。

1915年(大正4年)、政府は、明治神宮の創建を正式に決定しました。場所は、明治天皇と昭憲皇太后がよく訪れていた代々木の地が選ばれました。この地は、昭憲皇太后が体調を崩された際に、明治天皇が皇后のために庭園を造営された場所でもあり、両陛下の深い御縁を感じさせる場所でした。
2. 人工の杜・100年かけて育まれた奇跡の森
明治神宮の最大の特徴の一つは、都心に広がる広大な森です。約70ヘクタールもの広さを誇るこの森は、あたかも原生林のような自然に満ち溢れています。しかし、驚くべきことに、この森は、創建時に植樹された人工林なのです。
明治神宮の造営にあたり、政府は、全国から献木を募りました。その呼びかけに応え、日本各地から、さまざまな種類の樹木が献納されました。北海道から沖縄まで、その数なんと10万本以上。鉄道や船、馬車などを使い、遠方からも樹木が運び込まれました。

樹木の種類も、その土地の気候や風土に合わせて選ばれました。落葉広葉樹、常緑広葉樹、針葉樹など、多様な樹種が混ざり合い、自然に近い森を再現しようという試みがなされました。
しかし、ただ樹木を植えるだけでは、自然な森は生まれません。明治神宮の森造りには、当時の最先端の技術が投入されました。林学、造園学、土木工学などの専門家が集まり、綿密な計画を立て、自然の生態系を考慮した森造りが行われました。

特に重視されたのは、樹木の生育環境です。土壌の改良、水脈の確保、日当たりの調整など、樹木が健全に成長できる環境を整えるために、様々な工夫が凝らされました。
また、将来を見据えた計画も立てられました。100年後、200年後を見据え、世代交代を繰り返しながら、自然に森が維持されるように、長期的な視点での森造りが進められました。

その結果、明治神宮の森は、100年という歳月を経て、見事な自然林へと成長しました。現在では、約240種類、17万本もの樹木が生い茂り、多様な動植物が生息する豊かな生態系を形成しています。
明治神宮の森は、都会のオアシスとして、多くの人々に癒しを与えています。四季折々の美しい景色を楽しめるだけでなく、バードウォッチングや森林浴など、自然を満喫できるアクティビティも人気を集めています。
3. 国民の協力・勤労奉仕と技術者の叡智
明治神宮の創建は、国家プロジェクトとして、全国民の協力によって進められました。資金の寄付だけでなく、労働力の提供も、国民の熱意を示すものでした。
当時、第一次世界大戦の影響で、労働力不足が深刻化していました。そこで、政府は、青年団などを中心に、勤労奉仕を呼びかけました。その呼びかけに応え、全国から延べ11万人もの若者が集まり、明治神宮の造営に汗を流しました。

彼らは、植林、参道の整備、石垣の構築など、様々な作業に従事しました。厳しい労働条件の中、黙々と作業に打ち込む姿は、明治天皇への感謝の気持ちと、国家の復興を願う強い想いの表れでした。
また、明治神宮の創建には、当時の最先端の技術が投入されました。社殿の建築、森造り、庭園の設計など、各分野の専門家が集まり、知恵と技術を結集しました。
社殿は、伝統的な神社建築の様式を踏襲しながら、近代的な技術を取り入れた、荘厳かつ美しい建造物として完成しました。木材の選定、加工技術、耐震設計など、細部にまでこだわり、永く後世に残る建築物として造られました。

森造りにおいては、前述のように、生態系を考慮した計画的な植樹が行われました。また、庭園は、明治天皇と昭憲皇太后の好みを反映した、優雅で美しい空間として設計されました。
明治神宮の創建は、国民の熱意、勤労奉仕、技術者の叡智が結集した、まさに国家の総力を挙げたプロジェクトだったのです。
4. 鎮座地選定の理由・明治天皇と昭憲皇太后の御縁
明治神宮が鎮座する場所として、代々木の地が選ばれたのは、前述のように、明治天皇と昭憲皇太后がよく訪れていた場所であり、両陛下にとって特別な場所だったからです。
特に、昭憲皇太后が体調を崩された際に、明治天皇が皇后のために造営された庭園は、両陛下の深い愛情を感じさせる場所として、多くの人々に知られています。

この庭園は、現在、御苑として一般公開されており、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。特に、6月には、約150種類、1500株もの花菖蒲が咲き誇り、訪れる人々を魅了します。
また、御苑内には、清正井戸と呼ばれる井戸があります。この井戸は、江戸時代に加藤清正が掘ったと伝えられており、パワースポットとしても人気を集めています。

明治神宮の鎮座地として、代々木の地が選ばれたのは、両陛下の御縁だけでなく、この地が持つ神聖な雰囲気も考慮された結果でした。代々木の地は、古くから神聖な場所として崇められており、明治神宮の鎮座地としてふさわしい場所だったのです。
5. 明治神宮の魅力・御苑、ご神木、そしてミュージアム
明治神宮は、社殿や森だけでなく、様々な見どころがあります。
まず、御苑は、先述のように、四季折々の美しい景色を楽しむことができる庭園です。花菖蒲の他にも、桜、紅葉など、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。
また、御苑内には、清正井戸の他にも、四阿(あずまや)や茶室など、歴史的な建造物も点在しています。
次に、明治神宮には、ご神木と呼ばれる霊験あらたかな樹木があります。特に有名なのは、夫婦楠と呼ばれる2本の楠です。この2本の楠は、寄り添うように立っており、縁結びのご利益があるとされています。

明治神宮を訪れた際には、ぜひご神木に参拝し、良縁を祈願してみてはいかがでしょうか。

そして、2020年には、明治神宮ミュージアムがオープンしました。このミュージアムでは、明治天皇と昭憲皇太后ゆかりの品々や、明治神宮の歴史に関する資料が展示されています。

ミュージアムの建物自体も、建築家・隈研吾氏が設計した美しい建物で、見学する価値があります。
明治神宮は、歴史、自然、文化、そして未来への祈りが融合した、魅力的な場所です。

6. 明治神宮の未来・鎮座100年を超えて
明治神宮は、2020年に鎮座100年を迎えました。鎮座100年を記念して、様々な行事が行われ、明治神宮の新たな歴史が始まりました。
明治神宮は、これからも、日本の精神文化を象徴する場所として、多くの人々に愛され続けるでしょう。

そして、明治神宮の森は、100年かけて育まれた奇跡の森として、未来へと受け継がれていくでしょう。
明治神宮を訪れる人々は、社殿に祈りを捧げ、森を散策し、歴史に触れ、未来への希望を抱くでしょう。
明治神宮は、過去と現在、そして未来を結ぶ場所なのです。
明治神宮は、単なる観光名所ではありません。そこには、国民の熱意、国家の祈り、そして未来への希望が込められています。
ぜひ、一度、明治神宮を訪れ、その神聖な雰囲気を感じてみてください。