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魂の進化
魂の進化の程度を、大きく2つに分類してみます。
気づき始めた人、気づいていない人の2種類です。
ですが、これは気づき始めた人は偉い人、気づいていない人はダメな人というものではありません。
気づき始めた人は、気づきによって魂が進化するプロセスに入った人を指します。
気づきと悟り
気づきとは悟りの一部であり、気づきをたくさんたくさん果てしなく積み上げることで、やがてお釈迦様のようになります。
少しの気づきがあっただけでは、悟ったとは言いません。
真理を瞬間的に垣間見ただけでは、悟ったとは言いません。
知識として”悟り”を知るのと、実際の悟りの体験は全く異なるものです。
悟りを経験した人は、悟ったという事実にすら興味がなくなります。
そして悟ったということを、決して口外してはならないものだと、聖者の間ではそのように伝えられています。
しばらくの間はその事を隠さなければいけない、と。
自分は悟ったと人にベラベラ話したり、書いたりしてしまうと、やり直ししなければならないと云われています。
本当の悟りに至るまでには、気が遠くなるほどの果てしない遥かな道のりがあるのです。
小悟
小悟(こざとり)は、気づき始めた人の多くが経験しています。自分は悟ったのだと勘違いする人も多いぐらい、身体感覚を伴って起きる精神的な変容です。
ワンネスと呼ばれる体験も、この小悟の体験と言えます。
胸の中にある汚れた布がはがされるような感覚があり、ビリビリという音と共に剥がれ落ちます。
1回だけではなく、(人によって回数は異なりますが)何回もこの小悟を経験します。
中悟
小悟(こざとり)を何回も経験した後、運が良ければ中悟(ちゅうざと)が訪れます。
中悟の状態になると、すべてのものが見渡せる目の力が宿ります。
テレパシーが使えたり、急激な魂の成長により、肉体が100倍以上に大きくなったような感覚が訪れます。
心が澄み渡っている状態を数か月感じ続けます。
この段階を経験すると、ほとんどの人が自分は大悟を経験したと勘違いします。
思えば全てが叶う特別な力が備わってしまうため、自分が特別な人物であると勘違いしてしまう人が大勢いるようです。
中悟に入った人がなすべきことは、自然に開発された超能力はあくまで副産物であることを認識して、傲慢さを捨て去ることです。
大悟
中悟の後の、果てしない気づきのはてに大悟(おおざと)があります。
中悟から大悟までが非常に長い道のりです。
あまりにも長い道のりの為、中悟の後に死を迎え、生まれ変わって来世で大悟に至る聖人もいます。
大悟(おおざと)を経験したならば、地球上すべての人に影響力を与えるほどの存在になります。
本人が意図しなくても自然とそうなります。
特別な人であることは、誰の目にも明らかで、周囲が放っておきません。
本人は一言も発さなくとも、周囲の人が気付いてしまい、訪れる場所で出会う全ての人が味方になります。
どこの国を訪れようとも、特別な存在として扱われます。
表情は穏やかで仏のような顔だちをしています。体格は中肉中背で、健康体そのものです。
やせ細ったり、太ったりしていません。髪もフサフサに豊かになります。老化が遅くなり、若々しく見えます。
そして大悟に至ったならば、さらなるプロセスに入るようです。
果てしない道のりです。
前置きが長くなりましたが、話を戻します。
あなたは自分は幸せだと言い切れますか?いう質問に”自分は幸せだ”と断言できる人は、気づき始めた人です。
”自分は幸せだ”と言い切れない人は、まだ気づいていない人です。
幸せだと言い切れない人、つまりまだ気づいていない人が、日本人口の9割以上を占めています。
気づいていない人の数の方が圧倒的に多いのです。