下総国の神々②東国三社参り・香取散歩 / 側高神社

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香取神宮の奥深さを知る鍵・第一摂社・側高神社への参拝記 ・ 言葉を超えた霊力体験

香取神宮の荘厳な空気に包まれた参拝を終え、私は次なる目的地、側高神社へと足を運んだ。香取神宮からほど近い場所にひっそりと佇むこの神社は、香取神宮の第一摂社であり、香取神宮と同年の神武天皇18年に創建されたという由緒正しい神社だ。しかし、その存在は、香取神宮の陰に隠れがちで、その名を知る人は多くないかもしれない。

しかし、側高神社は、知る人ぞ知る、強烈な霊力にあふれた特別な場所なのだ。国土浄化の祖神(おやがみ)を祀る神社であり、そのご祭神は古来より神秘に包まれ、口にすることさえ許されない。『言わず語らずの守(神)』とのみ伝えられているという。その神秘性に惹かれ、私は側高神社の門をくぐった。

静寂に包まれた空間・側高神社への道のり

香取神宮の賑わいから一歩離れると、そこは別世界のような静けさに包まれていた。木々の緑が濃く、鳥のさえずりが心地よく響き渡る。側高神社へと続く参道は、苔むした石畳が敷き詰められ、長い年月を感じさせる。足を踏み入れるごとに、空気が澄み渡っていくような感覚を覚えた。

参道の脇には、鬱蒼とした木々が生い茂り、太陽の光を遮っている。そのおかげで、境内はひんやりとした空気に包まれ、神聖な雰囲気を一層際立たせている。深い緑の中に、時折、差し込む光が、まるで神様の祝福のように感じられた。

途中、小さな川が流れており、そのせせらぎが、静寂の中に心地よいリズムを刻んでいる。川の水は驚くほど澄んでおり、底までくっきりと見渡せる。その透明度の高さは、この場所が汚染とは無縁の聖域であることを物語っているかのようだ。

参道の終わりに近づくと、鳥居が見えてきた。石造りの鳥居は、苔に覆われ、古色蒼然としている。その存在感は、まるで長年、この地を守り続けてきた守護神のようだ。鳥居をくぐると、いよいよ側高神社の境内へと足を踏み入れることになる。

強烈な霊気に満ちた境内・五感で感じる神聖さ

鳥居をくぐった瞬間、私は言葉では言い表せないほどの衝撃を受けた。周囲の空気が一変し、体全体が震えるような感覚に襲われたのだ。それは、これまで経験したことのない、圧倒的な霊力だった。

境内は、香取神宮に比べると、はるかにこじんまりとしている。しかし、その空間に満ち満ちているエネルギーは、想像をはるかに超えるものだった。まるで、神様がすぐそこにいるかのような、そんな畏怖の念を抱いた。

まず目に飛び込んできたのは、一対の狛犬だ。石造りの狛犬は、長い年月を経て、風雨にさらされ、その表情はどこか厳めしい。しかし、その目は、しっかりと前を見据え、境内を守り続けているかのようだ。狛犬の足元には、苔が生え、その歴史を感じさせる。

狛犬の奥には、拝殿が静かに佇んでいる。木造の拝殿は、シンプルな造りだが、その佇まいは、威厳に満ち溢れている。拝殿の屋根には、苔が生え、年月を感じさせる。しかし、その存在感は、色褪せることなく、今もなお、多くの参拝者を迎え入れている。

拝殿の前には、賽銭箱が置かれている。賽銭箱には、多くの参拝者の願いが込められているのだろう。私も賽銭箱にお賽銭を入れ、静かに手を合わせた。心の中で、日頃の感謝を伝え、今後の平穏を祈願した。

神秘的な存在・言わず語らずの守(神

側高神社のご祭神は、古来より神秘とされており、口にすることは許されず、『言わず語らずの守(神)』とのみ伝えられている。なぜ、ご祭神の名前が秘匿されているのか。その理由は、この神社の持つ、凄まじい霊力にあるのだろう。

私は、境内に身を置くことで、その理由が少しだけ理解できたような気がした。言葉で説明することは難しいのだが、この場所には、言葉を超えた、何か特別な力が存在している。それは、人間の理解を超えた、神聖なエネルギーなのだ。

『言わず語らずの守(神)』は、言葉で表現することのできない、深い神秘性を湛えている。その存在は、言葉で語るよりも、五感で感じ取るものなのだろう。私は、境内に身を置くことで、その神秘的な力に触れ、心が洗われるような感覚を覚えた。

この神社を訪れる人々は、きっと、言葉では言い表せない、何か特別なものを求めているのだろう。それは、心の安らぎかもしれないし、困難を乗り越える力かもしれない。あるいは、ただ単に、神聖な空間に身を置くことで、日々の喧騒から解放されたいのかもしれない。

四季の甕と千年杉・自然との調和

境内の片隅には、「四季の甕」と呼ばれる、四つの甕が並んでいる。それぞれの甕には、春夏秋冬、それぞれの季節を象徴する植物が植えられている。四季の甕は、自然の美しさを凝縮した、芸術作品のようだ。

春の甕には、桜が植えられ、可憐な花を咲かせている。夏の甕には、青々とした葉が茂る楓が植えられ、涼しげな木陰を作っている。秋の甕には、紅葉したもみじが植えられ、鮮やかな赤色で境内を彩っている。冬の甕には、雪をかぶった松が植えられ、厳かな雰囲気を醸し出している。

四季の甕は、自然の循環を表現している。それぞれの季節が、それぞれの美しさを持っており、その美しさは、互いに補完し合っている。四季の甕を見ていると、自然の偉大さを感じ、心が安らぐ。

境内の奥には、樹齢千年を超えると言われる、ご神木「千年杉」がそびえ立っている。千年杉は、その名の通り、長い年月を生き抜いてきた巨木だ。その姿は、まさに圧巻の一言。千年杉を見上げていると、人間の存在がいかに小さいものか、痛感させられる。

千年杉は、力強い生命力を感じさせる。その幹は、太く、力強く、空に向かってまっすぐに伸びている。千年杉の周りには、特別な空気が流れており、そこにいるだけで、心が癒される。

境内社と霊的な浄化・新たなエネルギーの源

境内の片隅には、いくつかの境内社が祀られている。それぞれの境内社には、様々な神様が祀られており、それぞれの神様が、それぞれの役割を担っている。境内社を巡ることで、様々なご利益を授かることができると言われている。

私は、それぞれの境内社に手を合わせ、日頃の感謝を伝え、今後の平穏を祈願した。境内社を巡っていると、心が洗われるような感覚を覚えた。まるで、体の中に溜まっていた悪いものが、全て浄化されていくかのようだ。

側高神社は、霊的な浄化だけでなく、肉体的な活性化の効果もあると言われている。境内に身を置くことで、体の中に眠っていたエネルギーが活性化され、活力が湧いてくるのだ。私は、参拝後、体が軽くなったような、そんな爽快感を覚えた。

側高神社は、まさに、霊的にも肉体的にも浄化され活性化される、特別な場所なのだ。香取神宮に参拝の際には、ぜひこの側高神社に参拝し、その凄まじい霊力を体感してほしい。

言葉を超えた体験・側高神社参拝の意義

側高神社への参拝は、言葉では表現しきれない、貴重な体験だった。私は、この神社を訪れることで、これまで知らなかった、神社の奥深さを知ることができた。

側高神社は、単なる観光スポットではない。そこは、神聖なエネルギーが満ち溢れる、特別な場所なのだ。私は、この神社を訪れることで、心が洗われ、新たなエネルギーを得ることができた。

もし、あなたが、日々の生活に疲れを感じているのなら、ぜひ一度、側高神社を訪れてみてほしい。きっと、そこには、あなたが求めている、何か特別なものがあるはずだ。

側高神社は、言葉では語り尽くせない、神秘的な魅力にあふれた場所だ。その魅力を、ぜひ、あなた自身の五感で感じ取ってほしい。そして、側高神社で得た、特別なエネルギーを、日々の生活に役立ててほしい。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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