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江戸時代の究極の開運方法 ③

≪人の貴さ、賤しさをつくりあげる食≫

人の貴さや賤しさ、これはすべて食から始まると水野南北先生は述べています。
“人の貴くなること、また賤しくなることは、みな飲食の慎しみにあるべし。
それ、名僧智識といえども、これ何がゆえに貴き、みな、慎しみ深くして食を減じ、ほしいままに食わず、故に自から貴し。
また、博学の沙門といえども、慎しみ悪くして食充分に喰わば、自からさげしむ心あるといえども、これを尊むの気起らず、これみな天の悪むところなり。“

「人がますます貴くなるということも、またその反対にあさましく賤しい人になるとうことも、これはみな飲食の慎みのほかにない。
たとえば名僧といい、知恵と見識を備えた人はなぜ賢いのであろうか。このような人はみな、慎みがひときわ深く、食を一般より減らし、勝手きままに食うことをしない。ゆえにおのず貴いのである。
また、出家をして道を修める博学の僧であっても、慎みが悪く食も十分に食っているのであれば、このような者を尊ぶ気持ちは起きない。慎みが悪いのは天が嫌う行為といえる。」
酒をたらふく飲み肉や魚を満腹になるまで食べて、お金に目がくらむ賤しい僧侶は、陰ではなまぐさ坊主と呼ばれ蔑まれます。修行をせずに、厳しい戒律を守らない僧侶には貴さは全く感じられません。
これは僧侶に限ったことでなく、一般人も同じです。食を慎むか否かで、その人の貴さ、賤しさが決まります。それが運気に表れます。

≪大食の人は不運≫

また大食は不運を引き寄せると言います。
“分限より大食の者は運よろしからず、諸事こころにまかせず、また不事の損失等多かるべし。”

「腹八分目を上回って食する者は、その運が良いとはいえない。直感のままに行動することができなくなり、また思わぬ損失が多くあるだろう。」

目の前に二つの選択肢が前にある時、食が少ない人は直感でより良い道がどちらかを瞬時に判断できます。が、日々食べ過ぎている人は、自分にとって不幸になる道を選択してしまいます。
これが食欲の怖さです。
なぜ食によって人生が大きく変わってしまうのかについては以下の理由をあげています。

≪人の定めは食なり≫

“それ、天より享け得たる所の究まりあるものは食なり。これを余けいに食するときは日々天に食の借を生ずる。喰い費したる食は、みなくそとなって、再び世にめぐりくることなし、何れの年にこれを返えすや。人は催促すれども、天は乞わずして取り立てたまう。
われ返えさざれば子孫にとりたまう。子孫あらざればその家を亡ぼし先祖を断絶したもう。
われ借りたる物を返すは天地の理なり。これによって分限より大食をなす者は運よろしからず不思の災、損失多かるべし。これ、みな天より我を戒しめ取り上げたまうと知るべし。“

「このことは天との、まことをもった契約であり定めである。定めとは食である。その定められたものをよけいに多く食べるとき、天に食の借りをつくることになる。日々において費やした食は、“くそ”となって不浄のものとなり、清清としてふたたび今の世にめぐりくることがない。天は催促も所望することなく。静かに取り立てをするのである。
自分一代で返すことができないときは、子孫にまでおよんで取り立てをされよう。
子孫がないときは、その家をほろぼして断絶という荒療治をされる。自分が借りた物を返すというのは当然であり天地の理である。
このことからも腹八分目よりも多く食べる者は、運に良いものがなく、思ってもみなかった災いや、考えてもいない損失といったことが多くあって当たり前なのである。」

≪開運と食の関係≫

運と食の関係についても、非常に明確に説明されています。
“問うて云う、飲食を慎しむ時は血色宜しく成って運自ら開くと云い玉う。食は是れ心躰を養うの要たり、決して運にかかわることなし。”
“答えて曰く、食は心躰を養うの本たり。故に是を慎しんで養う時は五臓健やかにして腹中自らよろしければ、心体健やかにして気自ら開く、気開ける時は運随うて開く、ここを以って運は気に随うて開く故に運気と云う。
又、食を過ごすときは腹中あしく成って気おのづから重くなる、気重ければ気色滞る故に血色自ら開かず。
又、血色開かざれば運ひらく事能わず。これを以て食を慎しむときは血色よろしく成って運自らひらくと云う。
先ず三年食を慎しみ見るべし。若し運気開かざれば天地に理なし、世界に神なし、鐘鼓に音なし、なほ南北は天下の賊たり。“

「問うて聞く
飲食を慎めば血色が良くなり、運が自然に開くとおっしゃいます。食は心身を養うものであり、運には関係ないのではないでしょうか?」
「答えて述べる
食は心身を養う根本である。だから食を慎んでおのれを養う時は、五臓は健やかになり、腹中も整う。されば心身も健やかであるから、気というものが自然と開いてくる。
気が開く時には、運もそれにつれて開く。運気という言葉があるように、運は気にしたがうものなのだ。
だが、食べすぎる時は、腹中が悪くなって、気もおのずから重くなる。気が重ければ、気色が滞って動かない。ゆえに血色も開いては来ない。
また血色が開かねば、運が開くこともない。これが道理である。食を慎む時は、まず血色がよろしくなり、運もそれにつれて開くというわけだ。
まず、三年、真剣に食を慎んでみよ。これでもし運気が開かなかったとしたら、あまねく道理も、あらゆる神も、鐘や太鼓の音もこの世界から消え失せていることだろう。
そしてこの南北も、天下の賊だと言うがよい。」

東洋医学では、気・血・水が体内を循環することで健康でいられると言われます。気はエネルギー、血は血液、水は体液のことです。腹八分の食事をすることで気・血・水がよく循環します。循環が良くなると、気が巡り、やがて運が開けてきます。
三年間真剣に食を慎むと、この効果はかならず実感できます。食事を慎むことで、体が軽やかになり、血・気・水がさらさらと流れ、運が確実にひらけていきます。

≪身体に影響を与える心の持ち方≫

食を慎む時には、同時に心の持ちようも大切です。

いつも「食べたい。食べたいのに食べてはいけない。食べられないのが辛い。食べなければ痩せ細って死んでしまう。」という心持は、分別がつかない三歳児と同じです。いつもそう思うことで、肉体も心の影響を受けて本当に痩せ細って、生気がない見た目になってしまいます。心の影響力はあなどれません。
小食を自己の楽しみにできれば、心安らかに慎しむことができます。楽しみながら小食にすると、血色や肌つやがよく若々しい健康的な見た目になります。
食事の量を少しずつ減らし、「それほど食べなくても元気で、むしろ快適だ。」と潜在意識を少しずつ書き換えていくこと。
そして食欲という“欲”を少しずつ手放していくこと。これが肝心要となります。
続けるうちに、やがて人としても慎ましく、運が良く、冷静に物事を判断できる賢い人になっていることに気づくでしょう。
つづく

(参考文献)

南北相法極意修身録 全四巻合本 人間医学社版

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