伊勢国の神々ー②椿大神社その1

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異次元の聖域 – 椿大神社参拝記

多度大社を後にし、次なる目的地へと車を走らせた。目指すは三重県鈴鹿市に鎮座する、古社・椿大神社(つばきおおかみのやしろ)。多度大社からは、緑豊かな山道を約40分ほど走る道のりだ。車窓から見える景色は、深い緑に覆われた山々が連なり、その中に点在する集落が、どこか懐かしい風景を醸し出していた。都会の喧騒を忘れ、自然の息吹を感じながら、私は椿大神社への期待を膨らませていた。

椿大神社は、伊勢国一宮であり、猿田彦大本宮とも呼ばれる、日本最古の神社の一つとして知られている。その歴史は古く、神代の時代にまで遡ると言われ、古来より人々に崇敬されてきた。道開きの神、猿田彦大神を祀る神社として、厄除開運、交通安全、商売繁盛など、様々なご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れる。私もまた、その歴史と神聖な雰囲気に触れたいという強い思いから、この地を訪れることにした。

椿大神社に到着し、まず目に飛び込んできたのは、鬱蒼とした木々に囲まれた、静謐な空間だった。樹齢数百年の杉や檜がそびえ立ち、その間を縫うように参道が続いている。空気は澄み切っており、深呼吸をするたびに、心身が浄化されていくような清々しい感覚を覚えた。神社の入り口に立つ鳥居は、朱塗りの美しいもので、まるで異世界への入り口のようにも見えた。鳥居をくぐる瞬間、私はこれから始まる神秘的な体験への期待を高め、心静かに一礼した。

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由緒書きによれば、椿大神社は日本国土の中央部に位置し、太古の時代から国つ神である猿田彦大神が、高山入道嶽(たかやまにゅうどうがたけ)や短山椿ヶ嶽(みじかやまつばきがたけ)をその根拠本陣としていた縁起に由来する。倭姫命(やまとひめのみこと)の御神託に基づき、垂仁天皇27年(西暦紀元前3年)に創立されたという、まさに日本最古の御宮であり、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)であり、伊勢国一宮でもある。聖武天皇勅願社、国司総拝、九条家御祈願所、本多、板倉、石川等藩主の崇敬、警視庁に御分霊奉祭地まつり方災解除屋敷の守護等、御神徳はその霊験往古より世に現れていると伝えられている。

明治の始めには、不幸な調査漏れがあったものの、昭和10年に神宮内務省宮内省よりそれぞれの係官が現地調査を行った結果、国幣列格の内示があり、天地祇猿田彦大神の大本宮であることが確然とされたという。縁日は、一日、十一日、二十一日であり、山本神主家によって神世相伝の伝統が守り続けられている。その長い歴史の中で、多くの人々の信仰を集め、様々な困難を乗り越えてきた椿大神社は、まさに日本の歴史と文化を象徴する存在と言えるだろう。

本殿 ・ 猿田彦大神との対面

まず、本殿へと向かった。参道は緩やかな坂道となっており、両側には苔むした石灯籠が並んでいる。木漏れ日が差し込む参道をゆっくりと歩きながら、私は心静かに祈りを捧げた。本殿に近づくにつれて、神聖な雰囲気が増し、心が洗われるような感覚を覚えた。

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ご祭神は、主神である猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)。相殿には、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)が祀られ、配祀として天之鈿女命(あめのうずめのみこと)と木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)が鎮座している。前座には、行満大明神(ぎょうまんだいみょうじん)がお祀りされていた。

猿田彦大神は、天孫瓊瓊杵尊降臨の際、天の八衢(あめのやちまた)に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯(たかちほのみね)に御先導申し上げたという。そのことから、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎されたのだ。仁徳天皇の御代には、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に至っている。

猿田彦大神は、道開きの神として知られ、人生の岐路に立った時や、困難に直面した時に、正しい道へと導いてくれると信じられている。また、交通安全、商売繁盛、厄除開運など、様々なご利益があるとされ、多くの人々に崇敬されている。

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猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されるこの場所で、私は深く頭を垂れ、日頃の感謝を伝えた。同時に、これからの人生における導きをお願いし、心静かに祈りを捧げた。本殿の厳かな雰囲気と、神聖なエネルギーに包まれるような感覚は、言葉では言い表せないほどだった。本殿の奥には、神々しいオーラを放つ御神木がそびえ立ち、その存在感に圧倒された。

庚龍神社 – 龍神の息吹を浴びて

本殿での参拝を終え、境内を散策することにした。まず目に留まったのは、一の鳥居をくぐってすぐの場所にある庚龍神社(かのえりゅうじんじゃ)だった。

庚龍神社は、金龍龍神(きんりゅうりゅうじん)、白龍龍神(びゃくりゅうりゅうじん)、黒龍龍神(こくりゅうりゅうじん)を御祭神として祀る神社だ。樹齢400年の樅(もみ)の木に龍神が宿り、ご神域をお守りしたと言われている。見事なご神木は、その存在感だけで圧倒的なパワーを感じさせてくれた。

龍神は、古来より水の神、豊穣の神として崇められてきた。また、運気を上昇させ、金運を招く力があるとも言われている。庚龍神社のご神木に触れ、龍神のエネルギーを感じることで、心身が活性化され、新たな活力が湧いてくるような気がした。私も、ご神木にそっと手を触れ、龍神のパワーを分けてもらうようにお願いした。

異次元への誘い – 二の鳥居の先へ

庚龍神社を参拝し、いよいよ二の鳥居をくぐる時が来た。鳥居をくぐった瞬間、私は息を呑んだ。そこは、まるで別世界だった。表現するならば、宇宙そのもの。現実世界とは異なる、異次元の空間が広がっていた。周囲の景色は一変し、空気の色さえも違って見える。私は、まるでタイムスリップしたかのような、不思議な感覚に包まれた。

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参道の両側には、さらに木々が生い茂り、昼間でも薄暗いほどだ。しかし、その暗さの中に、神秘的な光が差し込み、幻想的な雰囲気を醸し出していた。私は、この異次元空間に足を踏み入れたことで、日常の悩みや不安を忘れ、心が解放されていくような感覚を覚えた。

御船磐座 ・・神々の降臨地、その神秘に触れる

参道を進むと、左手に御船磐座(みふねのいわくら)が現れた。太古の昔に天孫瓊瓊杵尊一行の空を飛ぶ御船が到着し、この地より九州に御先導されたという伝説が残る場所だ。注連縄で覆われ、玉石が敷き詰められた四角形の聖域に、3つの石が置かれており、椿大神社の祀る3神を宿した磐座だとされている。真ん中の磐座には、猿田彦大神尊がお祀りされている。

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御船磐座に近づくと、今まで感じたことのないような、圧倒的なパワーが全身を駆け巡った。同時に、非常に美しい光が降り注いでいるのが見えた。なぜこれほど美しい特別な場所というものが存在するのだろうか。その神秘的な光景に、私はただただ圧倒された。まるで、神々が降臨したかのような神聖な場所に、私は深く感動した。

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この場所は、謡曲「鈿女(うずめ)」にもうたわれている神代の神跡であり、瓊々杵尊一行の御船が到着されたと伝承されてきた場所だ。神話の世界と現実世界が交錯するような、不思議な感覚を覚えた。私は、御船磐座の前で静かに目を閉じ、神々のエネルギーを感じようと試みた。すると、心の中に温かい光が差し込むような、優しい感覚が広がった。

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神南備 ・椿ヶ岳の神聖なエネルギー

また、本殿の背後にある椿ヶ岳(つばきがたけ)を神南備(かむなび、かんなび)として祭祀したとも言われている。入道ケ岳の中腹には多くの磐座が存在し、古代信仰の祭祀遺跡となっている。神南備とは、神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。

または、神代(かみしろ)として自然環境を神体(しんたい)とすること。神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域や、神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や神体山を指す。椿ヶ岳全体が、神聖なエネルギーに満ち溢れているのだ。

高山土公神陵 ・ 猿田彦大神の御陵に眠る力

さらに歩を進めると、左手に高山土公神陵(たかやまどこうしんりょう)が現れた。ここは、猿田彦大神の御陵(ごりょう)とされている場所だ。前方後円墳は、猿田彦大神の御陵であり、山本神主家は、大神直系の神主家として、この御陵を神代より守り続けている。

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高山土公神陵に足を踏み入れると、清々しさと共に、力強く大きな包容力を感じ、安心感が湧いてきた。まるで、猿田彦大神に抱きしめられているかのような、温かい感覚に包まれた。私は、しばらくの間、その場に佇み、静かに目を閉じた。すると、心の中に静寂が訪れ、深い安らぎを感じることができた。

猿田彦大神は、天照大神との幽契により、天孫を先達啓行、皇大神宮の永久御鎮座の大宮所をもお定めになられたことから、地上に生きとし生けるものの平安と幸福を招く「みちびきの祖神さま」と崇敬されている。

地球国土、土地家屋敷安泰守護、地鎮祭をはじめ、建築、方災解除、厄除開運、家内安全、無病息災、交通安全、旅行安全、商売繁昌、家運隆昌、良縁子孫繁栄、進学修業、事業成就などにご霊験あらたかと信仰されている。私は、高山土公神陵の前で、猿田彦大神のご加護を願い、深く頭を垂れた。

椿大神社参拝を終えて ・ 心の聖域

椿大神社での参拝を終え、私は深い感動と感謝の念に包まれていた。異次元のような神秘的な空間、力強い神々のエネルギー、そして何よりも、猿田彦大神の温かい包容力に触れることができた。この参拝は、私にとって、忘れられない貴重な体験となった。

今回の参拝を通じて、私は、自分自身と向き合い、これからの人生における目標を明確にすることができた。また、日々の生活の中で忘れがちな、感謝の気持ちを改めて思い出すことができた。椿大神社は、私にとって、単なる観光地ではなく、心の拠り所となる特別な場所となった。これからも、折に触れてこの場所を訪れ、神々のエネルギーに触れ、自分自身を成長させていきたい。

椿大神社は、まさに異次元への扉を開く、神秘的な聖域だった。この神聖な場所で、私は新たな自分を発見し、人生の新たな一歩を踏み出す勇気をもらった。

エピローグ ・ その後の変化

この旅行の後、私は日々の生活において、より感謝の気持ちを持つようになりました。また、困難に直面した際には、椿大神社の神々のエネルギーを思い出し、勇気を持って立ち向かうことができています。仕事で大きなプロジェクトを任された時も、人間関係で悩んだ時も、椿大神社で感じたパワーを思い出すことで、乗り越えることができました。椿大神社は、私にとって、人生の道標となる特別な場所なのです。この参拝記が、椿大神社への興味を持つきっかけとなり、多くの方々がこの素晴らしい場所を訪れ、神々のエネルギーを感じていただけることを願っています。そして、それぞれの人生において、新たな発見や感動を得て、より豊かな人生を送ることができるよう、心から願っています。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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