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将門公を討った藤原秀郷が兜を供養したとされる神社
兜神社
東京都中央区日本橋兜町1-8
東西線・茅場町駅(出口10)徒歩5分、 日比谷線・茅場町駅(出口7) 徒歩7分、都営浅草線・日本橋駅(出口D2)徒歩5分
東京証券取引所本館の北、道路を挟んで日本橋川の辺に小さな神社があります。
これが証券界の守り神とされる兜神社です。
兜町と言えば、東京証券取引所があり、日本最大の証券街です。
そのため兜町の名は,日本の証券市場ないし証券界の代名詞となっています。ウォール街と言えばニューヨーク株式取引所を意味するのと同様です。
兜町の名は、町の一角にある兜塚の伝承によります。
現在の兜町かいわいは,江戸時代初期に埋立てによってできました。
御祭神
主が商業の守護神の「倉稲魂命(うかのみたまのみこと=御稲荷さんの別名)」で、合祀されている神様は、大国主命(大黒様)と事代主命(恵比寿様)です。
兜塚の起源
兜塚の起源については、源義家(みなもとのよしいえ)が奥州征伐の凱旋(がいせん)のおり、兜で塚を築いて、東夷(とうい)鎮護の神仏加護と戦勝を祈願したという説をはじめ、諸説があります。
江戸時代後期
鎧の渡付近に平将門を祭った言われる鎧稲荷や源義家所縁の兜塚が、江戸時代の後期には近隣の鎮守、或いは、魚河岸へ出入りする漁民の信仰対象となっていきました。
明治4年(1871年)
東京商社(三井物産(株)の前身にあたる会社のひとつです。)の移転に伴い、鎧稲荷と兜塚は、鎧の渡と兜橋の間に遷されました。この時に、兜塚をベースに源義家を御神霊として兜神社を創建しました。この兜神社は鎧稲荷と合併して、兜町の鎮守としての兜神社となりました。ちなみに、この年、三井組の三井八郎右衛門が「兜町」の名を東京府(当時)に願い出て許されました。
明治7年(1874年)
この年、兜神社は、源義家の祭祀を止めて、大国主命と事代主命を合祀することにしました。新しい御祭神は、兜町一帯の土地を所有している三井家が信仰していた三囲(みめぐり)稲荷神社(墨田区向島2丁目にあります。)の境内摂社である福神社から分霊してもらったものです。
明治11年(1878年)
東京株式取引所(東京証券取引所の前身です。)の設立に伴い、取引所が兜神社の氏子総代となりました。このころから兜神社は、証券界の信仰を集めるようになりました。
昭和2年(1927年)
兜神社は、日本橋川と楓川が分岐する現在の場所に移転し、その際に鉄筋コンクリート造りの社殿が造営されました。
昭和46年(1971年)
高速道路が延長されるのに伴い、位置を移動して、鉄筋コンクリート造り銅板葺きの現在の立派な社殿に建て替えました。(東京証券所公式ページより)