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日本三霊山
日本三霊山をご存知でしょうか?
霊山とは、神仏をお祀りする神聖な山のことです。
日本一の山、富士山は霊峰です。
富士山は、優美な姿でありかつ活火山でもあり、古来より信仰の対象でした。
富士山が噴火していた頃は、その激しい火焔に、当時の人々は神の怒る姿を重ねていました。
その畏敬の念が信仰へとつながりました。
噴火を繰り返した富士山を鎮めるために、平安期には山麓に『浅間大神(あさまのおおかみ)』をお祀りし、全国に広がりを見せた浅間信仰が始まりました。
では、残りの二霊山はどの山でしょう?
立山と白山です。
立山は、飛騨山脈(北アルプス北部)立山連峰の主峰です。
立山という単独峰は存在せず、雄山、大汝山、富士の折立を総称したもので、日本でも珍しく氷河が存在します。
立山は万葉の時代から『神々が宿る山』として信仰の対象でした。
平安期に入ると仏教が広まり、古来の山岳信仰と仏教が交じり合う神仏習合の信仰体系を見せ、修験道の地として有名になります。
立山にこもって修行することを『立山禅定(たてやまぜんじょう)』といい、罪のある者はすべて立山地獄(立山にある地獄谷)に堕ちるといわれ、その救済措置として、庶民に立山登拝を勧めたのでした。
残る一つである霊山、それは白山です。
白山信仰の総本山、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)をご紹介します。
加賀一之宮、白山本宮・白山比咩神社
石川県白山市三宮町105−1
ご祭神 白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)(菊理媛神 くくりひめのかみ)
伊弉諾神(いざなぎのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
白山比咩神社は金沢駅から車で40分ほど、小松空港からは45分ほどの場所にあります。
電車やバスでもアクセスできます。
その創建はとても古く、崇神天皇の頃(紀元前91年)と伝えられています。
延喜式内の名社であり、霊峰白山を御神体とする全国に三千有余を数える白山神社の総本社です。
広大な境内は47,000㎡もあります。
石川、福井、岐阜の3県にわたり高くそびえる白山は、古くから霊山信仰の聖地として仰がれてきました。
ふもとに暮らす人々や遥かに秀麗な山容を望む平野部の人々にとって、白山は聖域であり、生活に不可欠な“命の水”を供給してくれる神々の座でした。
平成20年(2008年)10月7日 には御鎮座二千百年式年大祭が行われました。
老杉が立ち並ぶ表参道の近くには、県内一の大河「手取川」が流れており、辺り一面とても清々しい雰囲気です。
手取川は加賀平野を貫流して日本海にそそぎます。
表参道の途中左手にある琵琶滝からは清流が流れ落ち、聖域に近づいていることを感じさせます。
駐車場は3か所あり、北参道、南参道からも幣拝殿に向かうことはできますが、老杉が立ち並び、琵琶滝が流れ落ちる表参道からの参拝をおすすめします。
四季折々の風景が楽しめる非常に美しい参道です。
表参道を上がると、古木がそびえ立つ中に社殿が並び、一気に明るくなります。
拝殿と幣殿は一体化しており、内部は総檜造りで、本殿とは30段の木階登廊で結ばれているのだそうです。
幣拝殿の右手奥にある禊場。邪気を洗い流す場所です。
美しい水が流れ、まるで泉のようです。
白山信仰
白山を開山したのは、奏澄(たいちょう)という僧です。
奏澄は奈良時代の修験道の僧で、『越の大徳』と称された人物です。
奈良時代、奏澄は白山麓の舟岡山にある『妙法の窟』にこもり修行し、さらに手取川の『あくどの淵』にて一心に祈りを捧げていました。
その時、白馬に乗った白山比咩大神が現われ、奏澄に白山を登頂するように伝えました。
奏澄は誰も登ったことがなかった白山に登り、頂上付近にある『転法輪の窟』で行を重ね、ついに十一面観音菩薩が姿を現わしました。
そのお姿を木造に刻み、白山の頂上にお祀りしました。
泰澄の登拝以来、白山信仰は全国へと広まったのでした。
また、白山比咩神社宝物館には、非常に興味深い貴重な品々が展示されています。
国の重要文化財である狛犬は、木造で体には漆が施されており、鎌倉時代のものと云われています。
今まで見たことがない珍しい狛犬は、大変迫力があり、一見の価値があります。
他にも数々の重要文化財が展示されていますので、参拝と合わせてご訪問ください。
白山比咩神社の神様は、あらゆるご利益を頂ける万能の神様です。
ぜひご参拝下さい。