Views: 614
素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)
東京都荒川区南千住6-60-1
ご祭神
素盞雄大神
飛鳥大神(アスカ大神)
素戔嗚神社は、荒川区内でもっとも広い氏子区域をもつ神社です。
素戔嗚神社の起源
この素戔嗚神社の開祖は黒珍という、山岳信仰である修験道の開祖、役小角(ねんのおづぬ)の弟子の中でもひときわ優秀だった人物です。
役小角は飛鳥時代の呪術者で、数々の奇跡の伝承が残されています。
その弟子の黒珍は現在の素戔嗚神社の近くに住んでおりました。
住まいの東の方の小高い塚の上に奇岩があり、黒珍はこの奇岩を霊場と崇め、日夜礼拝をいたしました。
すると、平安時代の延暦14年(795年)、塚の中の奇岩が光を放ち、二柱の神様が老人の姿に変身して現れました。
そして、
「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん」
と黒珍に告げたのでした。
この御神託を授かった黒珍は、祠を建てて丁重にお祀りいたしました。
素戔嗚神社がご創建された起源です。
二柱のご祭神
素盞雄大神(すさのおのおおかみ)は、ヤマタノオロチを退治し、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を取り出し、天照大御神に献上した神様として神話に書かれています。
この天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が、三種の神器の一つ「草薙の剣」となりました。
「スサ」には「荒・清浄」の意味があり、罪・穢れ・災い・厄など身に降りかかる悪しきこと諸々を、荒々しい程の強い力で祓い清める災厄除けの神様です。別名を牛頭天王(ごずてんのう)というために当社の通称を「お天王(てんのう)さま」といいます。
飛鳥大神(あすかのおおかみ)は、大国主神(だいこく様)の御子神です。
別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)といい、善悪を一言で判断し得る明智を持たれた神様。後世には福の神としての性格が強まり、商工業繁栄・商売繁昌の「えびす様」として崇敬されています。
凄まじい霊力を秘めた奇岩
平安時代から存在する素戔嗚神社は、非常に強い霊力を秘めている神社です。
鳥居をくぐると富士塚があり、そこに浅間神社がお祀りされていますが、まるで本物の富士山にいるかのような清らかな気が感じられます。
これほど富士山の気を強く感じられる富士塚にはなかなか出会えません。
素戔嗚神社の霊力の源はこの富士塚にあります。
またこの富士塚のところに、瑞光石とよばれる奇岩がが存在します。
瑞光石は、素盞雄大神、飛鳥大神が老人に姿を変えて降臨した奇岩と云われています。
スサノオノミコトと蘇民将来
遠い遠い神代の昔、スサノオノミコトが遥か遠くの南の海に妻問いにでかけたときのことです。
陽はすでにとっぷりと暮れ、旅に疲れ果てたスサノオノミコトは蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦将来(こたんしょうらい)という名の兄弟に宿を乞いました。
裕福で立派な家に住む弟の巨旦将来は、顔もやつれ衣服も汚れたその姿を見て、怪しみ惜しんで貸しませんでしたが、家も小さく貧しい生活をしていた兄の蘇民将来は、粟柄を座とし、粟の飯で精一杯のもてなしをしました。そして歳月がたち・・・。
再びその地を訪れたスサノオノミコトは兄に御礼を言い、「もしも疫病が流行したとき、あなたの家族は茅(かや)で作った小さな輪を腰につけていなさい。きっとそれから逃れ、子孫は永く栄えるでしょう。」と伝え帰りました。
その後、突然二人の住んでいる村に疫病が流行りましたが、不思議なことに茅の輪をつけていた兄の家族だけは助かり、弟の巨旦将来の家は途絶えてしまいました。
それ以来、村人は疫病が流行ると「蘇民将来子孫也」と口々に唱え、茅の輪を腰につけ疫病から免れるようになったということです。
富士山に行きたいと思いながらもなかなか行けないという方は、ぜひこの素戔嗚神社をご参拝下さい。
穏やかで健やかな気が流れる神社の参拝を終える頃には、悩みも消え、爽やかな風が心の中を吹き抜けていることでしょう。