低次の魂と高次の魂
魂はもともとみんな同じで純粋です。
純粋な魂はインドの聖典において「アートマン」、「プルシャ」と呼ばれます。
その魂に欲望が侵入すると「ジーヴァ(個我)」というものに変わります。
清らかであった魂が、低次な魂となります。
つまり本来純粋である魂が身体に内在して外界を経験する時にのみ、「高次」「低次」と表現されます。
真の自己を悟ってからこの世を経験する魂や、悟りなどの崇高な目的に向かう魂には「高次」、自らの真の目的を忘れて反対方向へとそれてしまう魂には「低次」という語をあてはめます。
繰り返しますが、魂そのものは「低次」「高次」のどちらにも相当するわけではなく、純粋です。
その魂が身体に留まっているあいだに持つ欲望と、行う行為によって分類されます。
感情によって動かされる人を崇拝者、知性によって動かされている人を賢者、知性と純粋な心をともに動かしている人を聖者と称します。
参考文献;「インドの聖典」