平将門をお祀りする神社②鎧(よろい)神社

鎧神社・歴史と伝説が息づく、平将門公ゆかりの鎮守の杜
新宿区北新宿に鎮座する鎧神社は、創建から約1100年の歴史を持ち、武の神として名高い日本武尊、学問の神様である菅原道真、そして関東に覇を唱えた平将門公を祀る、由緒正しき神社です。JR大久保駅、またはJR・都営大江戸線東中野駅から徒歩圏内というアクセス至便な立地にありながら、境内には静寂が漂い、訪れる人々を包み込むような穏やかな気が満ちています。
鎧神社の魅力は、単なる歴史的建造物としての価値に留まりません。この地には古来より、日本武尊が東征の際に甲冑を納めたという伝説、そして平将門公の鎧が埋められたという伝承が息づいています。これらの物語が、鎧神社を特別な存在たらしめているのです。
創建の歴史・神仏習合の時代から連綿と続く信仰
鎧神社の創建は、醍醐天皇の時代(898~929年)に遡ります。当時の円照寺という寺院の鬼門鎮護のために創建されたと伝えられています。円照寺は、理源大師の徒弟である筑波の貞崇僧都が、行基作と伝えられる薬師如来像を祀ったことが始まりとされています。
当時の社会は神仏習合の時代であり、神社とお寺は密接な関係にありました。円照寺の鬼門鎮護のために創建された鎧神社も、その流れを汲んでいます。つまり、鎧神社は、仏教的な信仰と神道的な信仰が融合した、独特の歴史的背景を持つ神社なのです。
日本武尊の伝説・武神の足跡が刻まれた聖地
鎧神社の創建以前から、この地には一つの伝説が伝えられていました。それは、武の神様として名高い日本武命が、天皇の命によって東国の平定に向かったとき、当地に甲冑六具を蔵めた(しまいかくした)というものです。
日本武尊は、父である景行天皇の命を受け、東国を平定するために派遣された皇子です。彼は、勇敢で知略に長けた武将として、各地で数々の戦いを繰り広げ、東国の平定に大きく貢献しました。鎧神社に伝わる伝説は、日本武尊が東征の途上、この地に立ち寄り、甲冑を納めたことを示唆しています。この伝説が、鎧神社を武神を祀る聖地としての性格を強めていると言えるでしょう。
平将門公の伝説・英雄の魂が眠る鎮魂の地
鎧神社を語る上で欠かせないのが、平将門公の存在です。天慶三年(940年)、関東に威をとなえていた平将門公は、藤原秀郷によって討たれます。この知らせを聞いた当地の人々は、将門公の死を悼み、天暦元年(947年)、将門公の鎧もまた当地に埋めたと言われています。
平将門公は、平安時代中期に関東地方で勢力を拡大した武将です。彼は、独自の政治体制を築き、朝廷に対抗する姿勢を示したことから、「新皇」と自称しました。しかし、藤原秀郷らの軍勢によって討伐され、その首は京都で晒されることとなりました。
将門公の死後、関東地方では彼の怨霊を鎮めるための信仰が広まりました。鎧神社に伝わる伝説は、将門公の死を悼んだ人々が、彼の鎧を埋めて鎮魂したことを物語っています。また、一説によると、将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、病気がたちまち治ったと言われます。
これらの伝説が、鎧神社を将門公の魂が眠る鎮魂の地としての性格を強めていると言えるでしょう。
ご祭神・武神、国土経営の神、そして英雄
鎧神社のご祭神は、日本武命、大己貴命、少彦名命、そして平将門公です。
- 日本武命(やまとたけるのみこと)・ 武神として名高い皇子であり、武勇と知略に長けた英雄です。東国平定に貢献し、国家の発展に尽力しました。
- 大己貴命(おおなむちのみこと)・ 国土経営の神として知られ、国土の開拓や農耕の普及に尽力しました。また、縁結びの神としても信仰されています。
- 少彦名命(すくなひこなのみこと)・ 大己貴命とともに国土経営に携わった神であり、医薬、酒造、温泉などの神として信仰されています。
- 平将門公(たいらのまさかどこう)・ 関東地方で勢力を拡大した武将であり、独自の政治体制を築きました。朝廷に対抗する姿勢を示したことから、「新皇」と自称しましたが、藤原秀郷らによって討伐されました。
これらの神々を祀ることで、鎧神社は、武運長久、国土安寧、病気平癒、そして鎮魂の祈りを捧げる場として、多くの人々に信仰されてきました。
摂社 天神社・学問の神様に見守られる学びの場
鎧神社には、菅原道真公をお祀りする摂社、天神社があります。菅原道真公は、学問の神様として広く知られており、合格祈願や学業成就を願う人々が数多く訪れます。

天神社は、もともとは柏木北公園に鎮座しており、明治時代中期に現在の場所に移されました。成子天神の元の社であることから、元天神とも呼ばれています。毎年11月25日には、天神社の例祭が執り行われます。
狛犬型庚申塔・江戸時代の農村文化を今に伝える貴重な文化財

天神社の両脇にある狛犬は、全国的にも非常に珍しい狛犬型庚申塔です。造営は享保6年(1721年)で、向かって右側が阿形像(雄)、左側は叫形像(雌)となっています。
庚申塔は、庚申信仰に基づいて建てられた石塔であり、人々の無病息災や五穀豊穣を祈願する目的で建立されました。狛犬型庚申塔は、江戸時代の農村文化を今に伝える貴重な資料であり、新宿区の指定有形民俗文化財に指定されています。
神参りの心・誠の心を以って神を敬う
鎧神社では、神参りについて、以下のように説明しています。
- 『誠は神の心なり 故に事ふるには 誠を以って祭れば 神是を受け給ふ』
- 『神は人の敬いによりて威を増し 人は神の徳によりて運を添う』
これらの言葉は、誠の心を以って神を敬うことの重要性を示しています。大神様は、人々から敬われることによって霊験あらたかになり、その威力を増すと言われています。また、人々は、慎みを以って誠の心で大神様を敬うことによって、大神様から良い運びと道開きを与えられると言われています。
円照寺・将門公の鎧が納められたとされる場所
鎧神社に隣接して、円照寺があります。円照寺は、鎧神社の創建当初から共に歩んできた寺院であり、将門公の鎧が納められた場所とされています。
円照寺は、薬師如来を本尊としており、病気平癒や健康祈願のために訪れる人々が多くいます。鎧神社と円照寺は、互いに補完しあい、地域の人々の信仰の中心として、長きに渡って親しまれてきました。
訪れる人々に安らぎと癒しを与える空間
鎧神社は、創建が非常に古く、長きに渡って人々の崇敬を集めてきた神社です。境内には、包み込まれるような穏やかな気が流れ、気持ちの良い風が吹いています。
鎧神社を訪れる人々は、その空間に身を置くことで、日々の喧騒を忘れ、安らぎと癒しを得ることができます。また、神社の歴史や伝説に触れることで、日本の文化や歴史に対する理解を深めることができます。

将門公が引き合わせてくれたことに感謝したくなるほど素晴らしい神社
鎧神社は、平将門公ゆかりの神社として、多くの人に知られています。将門公の伝説に興味がある人はもちろん、歴史や文化に興味がある人、静かな空間で心を癒したい人にもおすすめです。
鎧神社を訪れることで、きっと特別な体験をすることができるでしょう。ぜひ一度、足を運んでみてください。

鎧神社へのアクセス
- JR大久保駅より徒歩11分
- JR・都営大江戸線東中野駅から徒歩14分

開門時間
特に定められていませんが、日没後の参拝は避けるようにしましょう。
周辺情報
鎧神社の周辺には、飲食店や商業施設などが充実しています。参拝の後に、食事や買い物を楽しむのもおすすめです。
まとめ
鎧神社は、歴史、伝説、文化財、そしてパワースポットとしての魅力を兼ね備えた神社です。都内にお越しの際は、ぜひ一度訪れてみてください。