平将門にまつわる都市伝説

鳥越神社・北斗七星伝説の虚実と真の魅力 – 平将門との誤解を超えて
東京都台東区に鎮座する鳥越神社。創建から1300年以上の歴史を持つこの神社は、近年、ある都市伝説によって注目を集めている。それは、平将門ゆかりの神社を地図上で結ぶと北斗七星の形になるというものだ。

しかし、このロマンチックな伝説の陰には、歴史の誤解と神社の本来の姿が隠されている。本稿では、鳥越神社と平将門の関係を検証し、伝説の真偽を明らかにした上で、神社の歴史、文化、そして地域とのつながりを探求する。
1.北斗七星伝説と鳥越神社の登場
平将門は、平安時代中期に関東で反乱を起こした武将であり、その壮絶な最期と、朝廷への反逆者というイメージから、様々な伝説が生まれてきた。その中でも、平将門を祀る神社やゆかりの地を結ぶと北斗七星の形になるという都市伝説は、人々の想像力を刺激し、現代でも語り継がれている。鳥越神社は、この伝説の中で北斗七星を構成する星の一つとして位置づけられ、平将門との深い関係があるかのように語られることが多い。

2.社史が語る真実・平将門との関係は?
しかし、鳥越神社の社史を詳細に調べてみると、平将門に関する記述は見当たらない。将門公の手が祀られているという風説も存在するが、これは史実に基づいたものではなく、あくまで伝承に過ぎない。鳥越神社の宮司である鏑木啓麿氏も、「鏑木という姓なので将門公を祀っていると勘違いされた」と証言している。鏑木氏は、将門公の伯父である平良文氏の子孫、つまり千葉一族の末裔であり、その出自から誤解が生じた可能性が高い。
このように、歴史的な根拠に基づけば、鳥越神社と平将門の直接的な関係は薄いと言える。都市伝説は、人々の興味を引きつけ、物語を盛り上げる要素として機能するが、史実とは異なる場合があることを認識する必要がある。
3.徳川家康による神社の変遷・冷遇された背景
鳥越神社の歴史を語る上で、徳川家康の江戸入府と、それに伴う神社の変遷は避けて通れない。江戸時代以前、鳥越神社は約2万坪もの広大な社地を有し、鳥越山(古くは白鳥山)と呼ばれる丘の上に鎮座していた。境内には、「鳥越大明神」、「熱田明神」、「第六天神」の三社が鎮座し、これらを合わせて「鳥越三所明神」と称した。池や川に囲まれた風光明媚な場所であり、地域住民の信仰の中心地として栄えていた。

しかし、1590年に徳川家康が江戸に入府すると、江戸の再開発が推し進められ、「鳥越三所明神」は移転を余儀なくされた。鳥越山は切り崩され、池は埋め立てられ、敷地は大幅に縮小された。この経緯から判断すると、家康公とブレーンの天海僧正が鳥越神社を特別に重視していたとは言い難い。もし鳥越神社が将門公ゆかりの神社であると家康公が認識していたならば、神社の規模を縮小するような扱いをしたとは考えにくい。
4.都市伝説の虚構性と神社の本質
以上の検証から、鳥越神社と平将門の関連性は薄く、将門公の手が埋められたという風説は後世に創作されたものである可能性が高いことが明らかになった。平将門ゆかりの神社を結ぶと北斗七星の形になり、それは将門公を封じるためだという物語は、興味深いフィクションとして楽しむことができる。しかし、史実とは異なることを理解し、物語と現実を区別することが重要だ。
鳥越神社は、平将門との関連性によって語られることによって注目を集める一方で、その真の魅力が覆い隠されてしまっている側面もある。実際には、創建が651年と非常に古く、日本武尊を御祭神とする由緒ある神社であり、地元の人々から厚い信仰を集めている。
5.鳥越祭と千貫神輿・地域を繋ぐ絆
毎年6月9日に近い土曜・日曜には例大祭として鳥越祭が開催され、多くの人々で賑わう。鳥越祭の最大の呼び物は、何と言っても「千貫神輿」と呼ばれる巨大な御輿である。台輪幅4尺3寸、重量は約千貫(約4トン)もあり、「お化け神輿」とも呼ばれる。この巨大な御輿を担ぎ、街を練り歩く様子は圧巻であり、東京で最大の重さを誇る御輿として知られている。
千貫神輿は、単に重いだけでなく、その豪華絢爛な装飾も人々を魅了する。漆塗りの本体に、金箔が施された屋根、精巧な彫刻、そして煌びやかな装飾品が、祭りの華やかさを一層引き立てる。千貫神輿を担ぐ担ぎ手たちの熱気と、それを見守る観客の熱狂が一体となり、鳥越祭は忘れられない感動的な体験となる。鳥越祭は、地域住民にとって大切な文化的なイベントであり、神社の存在意義を示すものである。
6.歴史と文化の継承
鳥越神社は、平将門との関連性という都市伝説に彩られながらも、その歴史と文化をしっかりと継承し、地域社会に貢献してきた。都市伝説は一時的な話題性をもたらすかもしれないが、神社の真の価値は、その長い歴史の中で培われてきた信仰と文化にある。鳥越神社の関係者は、都市伝説に惑わされることなく、神社の由緒や文化を大切にし、未来へと伝えていくことを使命としている。今後も、地域社会との連携を強化し、伝統を守りながらも、時代に合わせた新しい取り組みにも挑戦していくことが期待される。
まとめ・誤解を乗り越え、真の魅力を発信する
鳥越神社は、平将門との関連性という都市伝説とは異なり、日本武尊を御祭神とする由緒ある神社であり、地域の人々に愛され続けている。徳川家康による冷遇という歴史的な背景を持ちながらも、その信仰と文化は途絶えることなく、今日まで受け継がれてきた。都市伝説は、人々の興味を引きつけ、物語を豊かにする要素として機能するが、史実とは異なる場合がある。鳥越神社の真の魅力は、その歴史と文化、そして地域住民との絆にある。鳥越祭の千貫神輿は、神社の象徴であり、地域住民の誇りである。鳥越神社は、過去から現在、そして未来へと、その輝きを失うことなく、地域社会の心の拠り所としてあり続けるだろう。都市伝説という誤解を乗り越え、鳥越神社の真の魅力がより多くの人々に伝わることを願う。