常陸国の神々・雲井宮郷造神社

雲井宮郷造神社 ・朝霧に浮かぶ新治国の守護神
茨城県筑西市倉持に鎮座する雲井宮郷造神社(くもいのみやくにのみやつこじんじゃ)。朝霧に包まれた境内は、訪れる者を静謐な空気で迎え、古の記憶を呼び覚ます。この神社は、古代律令制以前に存在した新治国(にいはりのくに)の一宮として、その歴史を深く刻み込んでいる。御祭神は武甕槌神(たけみかづちのみこと)を中心に、事代主神(ことしろぬしのかみ)、畏奈良珠命(ひならすのみこと)、大國主命(おおくにぬしのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)と、数多の神々を祀り、豊かな実りと人々の安寧を祈る場として、地域の人々から篤く信仰されてきた。
新治国(にいはりのくに) ・古代常陸の記憶
新治国は、大化の改新以前に現在の茨城県西部に存在した国である。その名は、『古事記』に倭建命(やまとたけるのみこと)が詠んだ歌に「邇比婆利(にひばり)」として登場する。この歌は、倭建命が東征の際に通過した地を偲び、故郷への想いを込めたものとされている。新治という地名の由来については、『常陸国風土記』の新治郡の条に詳しい記述がある。

古老の言い伝えによると、美麻貴天皇(みまきすめらみこと – 第10代崇神天皇のこと)の御世、東方の夷(えびす)の凶暴な賊を討伐するため、新治国造(くにのみやつこ)の祖先である比奈良珠命(ひならすのみこと)が派遣された。比奈良珠命は、この地に到着すると、新たに井戸を掘ったところ、清浄な水がこんこんと湧き出した。人々はこれを喜び、井戸を「治り(はり)ひらいた」と称え、この出来事を記念して、郡の名を「新治」と名付けたという。この伝承は、新治という地名が、人々の生活を支える水の恵みと、それを守り導いた祖先の功績に由来することを示している。

なお、2006年(平成18年)まで存続していた近世の茨城県新治郡(にいはりぐん)は、新治の呼称こそ同じであるが、古代の新治国とは範囲が異なる。古代の新治国は、現在の筑西市、桜川市、笠間市の一部を含む広大な地域を指し、雲井宮郷造神社は、その中心的な存在として、地域の精神的な支柱となっていた。
雲井宮郷造神社の歴史 ・ 古代から中世へ
雲井宮郷造神社の創建は、景行天皇41年(111)に遡ると伝えられている。当時の新治国造であった畏奈良珠命(ひならすのみこと)が、武甕槌神、大国主命、事代主の三神を奉祀したのが始まりとされる。これらの神々は、それぞれ武勇、国土経営、託宣の神として知られ、国家の守護、五穀豊穣、人々の幸福を司る神々として、古代から篤く信仰されてきた。
その後、時代は下り、平安時代の初め、大同2年(807年)に伊予親王の変が勃発する。この事件は、平城天皇の弟である伊予親王が謀反を企てたとされ、多くの人々が巻き込まれる大事件となった。その一人、藤原宗成(ふじわらのむねなり)は、伊予親王に謀反を勧めた罪で捕縛され、常陸国へと流刑に処せられた。
宗成は、流刑の地である常陸で、失意の日々を送っていたが、ある日、雲井宮郷造神社の存在を知り、毎日のように参拝するようになった。彼は、神前で自らの罪を悔い、赦免されることを切に祈った。その誠実な祈りが通じたのか、数年後、宗成は赦免され、京へと帰ることができた。
京に戻った宗成は、雲井宮郷造神社への感謝の念を忘れず、神社に「雲井宮」という号を贈った。雲井とは、空高くそびえ立つ雲の宮殿を意味し、神々の住まう聖域を象徴する言葉である。この号を贈られたことで、雲井宮郷造神社は、その名声を高め、地域の人々だけでなく、都の人々からも崇敬を集めるようになった。
雲井宮郷造神社の境内 ・ 神聖な空間
雲井宮郷造神社の境内は、神聖な雰囲気に満ち溢れている。約200メートル続く参道は、春には桜並木が咲き誇り、華やかな景色を作り出す。参道を歩むと、清々しい空気が身を清め、心静かに神前に向かうことができる。

参道の途中には、手水舎があり、身を清めてから参拝するのが作法である。手水舎の水は、清らかで冷たく、心身を洗い清める。手水舎の先には、隋神門がそびえ立ち、神域への入り口を守護している。隋神門の左右には、力強い狛犬が鎮座し、邪悪なものを寄せ付けない威厳を放っている。

隋神門をくぐると、正面に拝殿が現れる。拝殿は、荘厳な雰囲気を漂わせ、訪れる者を圧倒する。拝殿の前には、賽銭箱が置かれ、参拝者は日々の感謝を込めて賽銭を奉納する。拝殿の奥には、本殿があり、御祭神である武甕槌神が祀られている。

境内の隅には、道祖神が祀られている。道祖神は、村の境や道の辻に祀られ、旅の安全や悪疫の侵入を防ぐ神として信仰されている。また、天神社も祀られており、学問の神様である菅原道真公が祀られている。受験生や学業成就を願う人々が、合格祈願に訪れる。

雲井宮郷造神社の御祭神 ・ 多様な神々の御力
雲井宮郷造神社の御祭神は、武甕槌神を中心に、事代主神、畏奈良珠命、大国主命、建御名方命と、多様な神々が祀られている。それぞれの神々は、異なる役割と御力を持ち、人々の様々な願いに応えてくれる。

- 武甕槌神(たけみかづちのかみ)・武勇の神として知られ、国家鎮護、武道成就、必勝祈願にご利益があるとされる。また、雷神、刀剣の神としても信仰されている。
- 事代主神(ことしろぬしのかみ)・託宣の神として知られ、商売繁盛、漁業安全、家内安全にご利益があるとされる。また、恵比寿様としても親しまれている。
- 畏奈良珠命(ひならすのみこと)・新治国造の祖先であり、地域の守護神として崇敬されている。
- 大国主命(おおくにぬしのみこと)・国土経営の神として知られ、縁結び、五穀豊穣、病気平癒にご利益があるとされる。また、出雲大社の御祭神としても有名である。
- 建御名方命(たけみなかたのかみ):武勇の神として知られ、諏訪大社の御祭神として祀られている。
これらの神々を祀ることで、雲井宮郷造神社は、地域の人々の生活全般を守護し、あらゆる願いに応えることができると信じられている。
雲井宮郷造神社 ・ 現代における意義
現代社会において、神社は単なる宗教施設ではなく、地域の文化や歴史を伝える重要な役割を担っている。雲井宮郷造神社は、古代の新治国の記憶を今に伝え、地域のアイデンティティを形成する上で、欠かすことのできない存在である。
また、神社は、人々の心の拠り所としての役割も担っている。日々の生活の中で、悩みや不安を抱える人々が、神社の静謐な空間で心を落ち着かせ、神様に祈りを捧げることで、心の平安を得ることができる。

雲井宮郷造神社は、豊穣のご利益や、罪、穢れを祓い本来の良運に戻すご利益があるとされ、多くの人々が参拝に訪れる。特に、近年はパワースポットとしても注目を集めており、若い世代を中心に、神社を訪れる人が増えている。
雲井宮郷造神社は、古代から現代に至るまで、地域の歴史と文化を継承し、人々の心の拠り所として、その存在意義を高めている。
まとめ
雲井宮郷造神社は、茨城県筑西市に鎮座する、歴史と伝統のある神社である。古代の新治国の一宮として、武甕槌神を主祭神とし、地域の人々から篤く信仰されてきた。境内は、神聖な雰囲気に満ち溢れ、訪れる者を静謐な空気で包み込む。
雲井宮郷造神社は、単なる宗教施設ではなく、地域の文化や歴史を伝える重要な役割を担っており、現代社会においても、その存在意義を高めている。ぜひ一度、雲井宮郷造神社を訪れ、その神聖な空気を肌で感じてみてほしい。
この神社を訪れることは、古代の新治国の記憶に触れ、地域の歴史と文化を理解するだけでなく、自らの心を見つめ直し、新たな活力を得る機会となるだろう。雲井宮郷造神社は、訪れるすべての人々に、安らぎと希望を与え