走湯山秘訣に見る伊豆山神社と初島の深淵なる繋がり

神話、歴史、そして未来へのメッセージ
源頼朝が征夷大将軍の守護神として奉り、徳川家康も深く崇敬した伊豆山神社。その悠久の歴史と神秘的な由来を紐解く鍵となるのが、秘伝の書『走湯山秘訣絵巻(そうとうさんひけつえまき)』である。この絵巻は、伊豆山神社がかつて「走湯権現(はしりゆごんげん)」として神仏習合の一大霊場であった時代に、そこに伝わる神の物語を鎌倉時代に書き記したものであり、代々の宮司のみに閲覧が許されるという、まさに秘中の秘とされてきた。

この秘伝の書を広く人々に伝承しようと、平成23年9月19日、国文学研究者の阿部美香氏が詞書を書き下ろし、書家の岡村千登勢氏がその詞を揮毫、陶芸家・画家の中村芳楽氏が絵を担当し、さらに初木神社禰宜の堀口恵子氏が絵巻制作に込められた関係者の想いを祈祷文として神前に奉納するという壮大なプロジェクトが実現した。わかりやすい文章と絵によって再構成された絵巻は、全4巻合わせて約30メートルに及ぶ大作として生まれ変わり、現代に蘇ったのである。
『走湯山秘訣』は、初島の初木姫(はつきひめ)が伊豆山の神々の国を訪れ、そこで尊い教えを受ける物語を中心に展開される。特に、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひおしほみみのみこと)という神様の御名に込められた深い愛と叡智は、読者に大きな感動と啓示を与える。
この絵巻の中でも特に重要な役割を担うのが「初木巻」である。以下、伊豆山神社公式HPより転載された文章を基に、「初木巻」の内容を詳細に分析し、そこに込められた伊豆山神社と初島の深淵なる繋がりを解き明かしていく。
「初木巻」・神話の始まりと初木姫の出現
物語は、遥か昔、人の世の始まりである神武天皇から数えて五代目の孝昭天皇の御代に遡る。蒼々とした海の底から、輝く玉の御輿に乗り、一人の巫女が現れる。彼女の名は初木。彼女は海原に小さな島を築き、宮居を構える。人々はその島を初木島と名付け、いつしか初島と呼ぶようになった。
一方、いにしえの伊豆山は、神の住まう神聖な山として、久地良山(くじらやま)と呼ばれ、人々から深く敬われていた。初木姫は初島から水牛に乗り、毎月のように久地良山へ赴き、山中を巡り歩き、白波が打ち寄せる初島の風景を眺めていたという。

この記述は、初島と伊豆山が古くから密接な関係にあったことを示唆している。初木姫が水牛に乗って伊豆山を訪れるという描写は、両者を結ぶ海上ルートが存在し、交流が盛んであったことを示唆している可能性がある。また、伊豆山が久地良山と呼ばれていた時代から、初木姫がその聖地を巡礼していたという事実は、初島が伊豆山神社の起源を語る上で、極めて重要な場所であったことを物語っている。
湯の泉の発見と月光童子の啓示
年月が流れ、ある日、初木姫はいつものように久地良山の頂へと向かう。そこで彼女は、麓から湧き出る湯の泉を発見する。泉は清らかに澄み渡り、湯の温かさも心地よい。泉の底には、金色の亀が神々しい月の輪を背に乗せ、輝きを放っていた。
すると、かすかな声が聞こえ、月の輪の中から、美しい童子が現れる。初木姫は畏敬の念を抱きながら、童子に尋ねる。「湯の底にかがやきまします月の輪とあらわれていらっしゃるのは、尊き神とお見受けします。何という御名の神でいらっしゃるのでしょう。その光の中から現れたあなたは、どなたですか。」

この場面は、『走湯山秘訣』の中でも特に重要な場面の一つである。初木姫が発見した湯の泉は、後の伊豆山神社の起源となる場所であり、月光童子の出現は、神託の始まりを告げる。月光童子は、初木姫が「太古の巫女の血筋を引く、誇り高き巫女」であり、「万物を育む母なる神の力」を受け継いでいると語る。この言葉は、初木姫が単なる巫女ではなく、神聖な力を持つ存在であることを示唆している。
童子は答える。「初木よ。太古の巫女の血筋を引く、誇り高き巫女よ。そなたには、万物を育む母なる神の力が受け継がれている。その大いなる力をもって、そなたが祀るべき定めの神こそ、この月の輪の神にほかならない。わが名は月光童子。そなたに月の輪の神の御名と秘められし由来を語るため、こうして現れたのだ。心してお聞きなさい。」
神々の系譜と正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の由来
月光童子は語り始める。「はるか遠い昔、この国をおつくりになった伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)という二柱の神が、女神を一柱、男神を三柱、お生みになった。日神、月神、蛭子、素戔鳴尊です。日神は輝くばかりに美しい女神ゆえ、天照大神とあがめられた。月神は正哉吾勝々速日天忍穂耳尊とたたえられた。私の父です。母の名は栲幡千々姫尊と言います。やがて、天照大神はこの国を統べる主となり、わが父天忍穂耳尊は国の政をつかさどる主となった。湯の泉はわが父の尊の家であり、月は尊の心なのです。」
このくだりでは、日本の神話における重要な神々が登場する。天照大神は太陽神として、日本の皇室の祖神として崇められており、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊は月神として、伊豆山神社の主祭神として祀られている。月光童子は、自らが正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の子であることを明かし、湯の泉が尊の家であり、月が尊の心であると語る。
湯の泉の意味と月の鏡の象徴
初木姫は童子に問いかける。「尊はなにゆえ湯の泉にお住まいなのでしょう。尊の心が月の鏡とあらわれたのは、どうしてですか。」
月光童子は厳かに答える。「それには深い理由がある。今から数百年の後、末の世の人は、愚かな我欲にとらわれ、水と火のようにいがみあうだろう。そのとき水と火をあわせた湯のように、あたたかく調和に満ちた心をとりもどすことができるようにと願って、尊は湯の泉に住まうのだ。尊の心が月の鏡であるのも同じことだ。素直な気持ちを忘れ、ゆがんだ思いに支配された人は、闇の世界の住人のように固く心を閉ざすだろう。ゆえに、尊は月となり、人の心の闇を照らし導くのだ。月の満ち欠けは、この世が常に移ろうものであることを諭す姿なのですよ。そもそも、水とは月の精、火とは日の精だ。尊は月神ゆえ、水をつかさどる力を持っている。そこで日神である天照大神の尊き力を借り、水を温め湯にしているのだ。すべてこの世の万物は、二つのものが出会って一つのものが生まれる。」
この部分では、湯の泉と月の鏡が象徴する意味が明らかにされる。湯の泉は、水と火という相反する要素が調和した状態を表し、人々の心の調和を象徴している。月の鏡は、人々の心の闇を照らし、素直な気持ちを取り戻させる力を持つ。月光童子は、水と火、そして陰と陽といった二つの要素が組み合わさることで、万物が生まれるという宇宙の法則を説いている。
月光童子の役割と神の御名に込められた意味
月光童子は優しく微笑みながら、語り続ける。「私は、己の姿や名を自在に変えることができる。そうして人々の前に現れ、時に誡め時にいつくしみ、尊の政を助けているのだ。常には南海の普陀洛の山におりますが、尊の留守を預かり代わりを務めることもあるのだ。」
初木姫が月光童子を敬い拝むと、童子は心からの誠をもって説き宣べた。「正哉吾勝々速日天忍穂耳尊という御名には、深く秘められた謂われがある。正哉とは、常に正しく素直であることを第一とする尊の掟だ。吾勝とは、素直で歪みのない心こそ、何事をも乗り越え退くことのない強さであることを示している。勝速日は、素直な心をもって邪なものに克つ尊の力を、長く暗い夜の闇を速やかに消し去る日の出の勢いに例えた言葉だ。天忍とは、人を救うため、尊が高天原の楽しみを捨て、下界で堪え忍ぶ姿をたたえている。そうして穂耳だ。尊の耳を喜ばせる何よりの報せは、邪な心を持った人が己の過ちに気づき、素直な心を取り戻すこと。尊の喜びは国を豊かにし、人も栄え稲穂もよく実らせましょう。ゆえに穂耳と敬われているのだ。」
この部分は、『走湯山秘訣』におけるクライマックスとも言えるだろう。月光童子は、正哉吾勝々速日天忍穂耳尊という神の御名に込められた深い意味を説き明かし、素直な心の重要性を説く。この御名は、常に正しく素直であること、素直な心こそ強さの源であること、邪なものに打ち克つ力を持つこと、人々を救うために苦難に耐え忍ぶこと、そして、人々の心が清らかになることを願う尊の喜びを表している。
初木姫への託し事と未来へのメッセージ
秘められた神の名の由来を説き終えると、月光童子は初木姫の手を取り言った。「そなたに頼みがある。そなたにしかできないことだ。いつの世にか、二人の子どもが生まれるだろう。杉の琥珀の中から、日と月の光に温められて、女の子と男の子が誕生する。その子たちを育ててほしいのだ。」
それは父神:天忍穂耳尊と母神:栲幡千々姫尊の願いでもあった。(※伊豆山神社のご祭神です。)
この最後の場面では、月光童子が初木姫に、未来に生まれる二人の子どもの養育を託す。この二人の子どもは、伊豆山神社の主祭神である天忍穂耳尊と栲幡千々姫尊であり、初木姫は彼らを育てるという重要な役割を担うことになる。
『走湯山秘訣』が語る伊豆山神社と初島の永遠の絆
『走湯山秘訣』は、伊豆山神社の起源と歴史を語る上で、初島が不可欠な場所であることを示している。初木姫は、単なる伝説上の人物ではなく、神聖な力を持つ巫女として、伊豆山神社の信仰の中心的な存在として描かれている。初島は、神話の舞台として、聖地として、そして、神々との交流の場として、伊豆山神社の成立に深く関わっていたと考えられる。
『走湯山秘訣』は、過去の物語であるだけでなく、現代を生きる私たちにも重要なメッセージを伝えている。それは、素直な心を持つこと、調和を大切にすること、そして、困難に立ち向かう勇気を持つことの重要性である。この絵巻は、伊豆山神社と初島を結ぶ永遠の絆を象徴し、未来へと受け継がれていくべき貴重な遺産なのである。