初島からたどる伊豆大権現のルーツ

神話と歴史が織りなす聖地巡礼の旅
熱海の喧騒を離れ、遥かなる神話の源流を求めて、私たちは一路、初島へと向かった。前回の記事(熱海・龍神紀行~龍神と共に息づく街~⑤)で触れた『走湯山秘訣』に登場する初木姫。彼女を祀る初木神社こそが、今回の旅の目的地である。
熱海港から定期船に乗り込む。穏やかな海面に目を凝らすと、熱海に眠る海底遺跡の存在が脳裏をよぎる。古代、活発な火山活動によって伊豆山神社の山麓や門前町の一部が海に沈んだという。スキューバーダイビングの愛好家にとっては、ロマンあふれる探索の場となるだろう。
(船上から見た熱海の風景)

しかし、熱海や伊豆山一帯の歴史を物語る資料は、多くが現存していない。それは、豊臣秀吉による小田原攻めの際、北条家に味方した伊豆大権現が焼き討ちに遭い、貴重な記録が失われたためだ。初木神社をはじめ、島に伝わる古文書や家系図も、かつては伊豆山神社に奉納され、一括管理されていたため、同様の運命を辿ったのである。
古代においては、富士山神や箱根神も伊豆大神と同一視されていたという。この事実は、伊豆大神の力が広範囲に及んでいたことを示唆している。強運の神と称される所以も、そこにあるのかもしれない。
船は進み、やがて初島が姿を現す。伊豆半島の沖合、熱海市の南東10kmに位置するこの島は、周囲わずか4km、人口250人という小さな島だ。熱海港からは約30分で到着する。
初島は、2万年前に海底が隆起して誕生したと言われている。本土に近く渡りやすかったため、古くから人が居住していた痕跡があり、島内からは縄文時代の土器や石器が数多く発見されている。その数、なんと7ヶ所もの縄文遺跡が確認されているのだ。
手軽に訪れることができる離島として、初島は常に多くの人々を魅了し続けている。毎年25万人から30万人前後の観光客が、この小さな島を訪れるという。
(初島港の賑わい)

寺社の由緒を記した寺社縁起の一つとされる『三宅記』には、旧伊豆国地方の神々に関する興味深い記述が残されている。(※三宅記の原本は鎌倉時代末期に完成したとされている。)
『三宅記』によれば、天竺(インド)で生まれた王子(※三嶋神)は、無実の罪に問われ追放され、支那、高麗と渡り、第八代孝安天皇元年に日本に到着する。そして富士山頂で出会った神に安住の地を求めると、富士山頂南部の地を与えられた。
しかし、その地は狭く、王子は「島焼き」(造島)を行うことを決意する。第八代孝安天皇21年、多くの龍神、雷神とともに7日7夜にわたって島焼きを行い、10の島を生み出した。そして、それぞれの島に后を置き、后たちは子を産んだという。
この10島のうち、最初に生み出した“初めての造島”こそが、初島の名の由来となっている。
※三嶋神は、三宅島の富賀(とが)神社にお祀りされている神様であり、静岡県の三嶋大社は、この富賀神社より分祀されたものである。
初島に到着し、まず私たちが向かったのは、初木神社である。
初島の”ここは訪れ隊!”
初木神社

ご祭神は、以下の三柱の神々である。
大津見命(おおつみのみこと)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
初木姫命(はつきひめのみこと)
初木姫命の他にも、二柱の神様が祀られている。大津見命(おおつみのみこと)は、古事記では大山津見神、日本書紀では大山祇神と表記され、多くの三島神社で主祭神として祀られている神様である。
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)は、海神(わたつみ)の娘であり、神武天皇の祖母にあたる。数多くの神社にお祀りされている神様だ。
また、初木神社の神殿の下には、古代の祈りの場である磐座(いわくら)の遺跡が眠っている。そのため、海上・交通安全、水難除け、良縁・縁結びのご利益があるとされている。
初木神社については、後ほど詳しく説明する。
竜神宮

初木神社から徒歩でほど近い場所に、竜神宮が鎮座している。
海の中から現れた霊剣が祀られていたとされており、大漁祈願の神として今も島民の信仰を集めている。
その昔、不漁が続き漁師が嘆き明かしていると、海の中から剣が現れたという。それ以来、島には豊漁の日々が続いたという言い伝えがある。
大漁祈願のため、毎年4月3日には竜神宮の祭りが行われ、海で取れた魚をお供えする。島民は毎年この日は漁を休み、霊剣に感謝を捧げるために、大漁鉢巻を巻いて桜の下で酒を飲み交わすならわしが続いている。
両スポット共に、船を降りて徒歩ですぐの場所に位置しているため、ぜひとも参拝していただきたい。小さな離島でありながら、太古の歴史を感じることができる場所である。
初木神社ー愛に包まれる光の聖地
『走湯山秘訣』によると、青々とした海底から、輝く玉の御輿に乗って現れた巫女初木は、初島から水牛に乗り、月ごとに久地良山へ赴いては山を巡り、初島を眺めていたという。

そして乳母となり、日精・月精という二人の子供を育て、やがて二人は伊豆大権現の祖先となった。
初木姫がいたからこそ、今の伊豆大権現(伊豆山神社)があると言えるのではないだろうか。
この初木姫が祀られている初木神社のパワーは、まさに格別である。優しくて包容力があり、参拝後には幸福感に包まれる。
伊豆山神社をお参りする際には、ぜひとも伊豆大権現の祖先を育てた初木姫を祀る初木神社まで足を運び、小さなお社から溢れ出るほどのエネルギーを感じてほしい。
(詳しい内容は、10月7日創刊のメルマガでお伝えする予定である。)
『走湯山秘訣』
初木姫が神界へと上るくだりが、『走湯山秘訣』の終わりに記されている。
(走り湯から見た初島の絶景)
以下に、伊豆山神社公式HPより転載された「降臨巻」の一部を紹介する。
「道はさらに続いていました。歩みを進めてゆきますと、くぼんでいるのにたいらかな広場に出ました。鉱の大地には、一面に黄金の砂子が敷かれています。
樹々や草花はみな宝石や金銀からなっており、高貴な香に満ちています。あたりの衆人はみな、金色のかがやきを放っておりました。宮殿に入ると、碧玉でつくられた蓮華の宝座がそなわり、千の御手と千の御眼を持つ高貴な御方が、宝石をちりばめた冠をいただき光りかがやいておわします。初木の耳に、千手千眼観世音菩薩です。父神天忍穂耳尊の、真実のおすがたです。
とささやく、月光童子の声が聞こえました。初木が誠の心を至してうやまい拝み申しあげると、妙なる御声が聞こえてきました。その声音には聞くものの心を豊かにし、身にやすらぎを与える響きがありました。初木は、おのずとかぎりない御教えを聴き持っておりました。さて、月光童子を導き手としてふたたび歩みはじめた初木たちは、気がつくと、久地良山の岩屋の外にたたずんでおりました。
白みはじめた夜空には、北斗七星がまたたいています。月神正哉吾勝々速日天忍穂耳尊の住まう神の国をめぐる旅は、おわりを告げたのです。
第十六代の応神天皇の御代のこと。大磯の海辺に月の鏡があらわれ、日金の峰に飛びうつりました。
月神正哉吾勝々速日天忍穂耳尊であらせられる、伊豆山走湯大権現の降臨です。このとき、権現をお迎えし初めてお祀りしたのは、御山の開き人である松原の聖と、生い長じて氏人となった日精と月精でした。
伊豆山の朱の社からは、初木姫が鎮まります初島が、うつくしく見えます。朝日にかがやく初島を拝するたびに、日精と月精は、初木姫が月光童子に手を引かれ、光のかなたにある神々の世界へとかえっていったときのことを思い出します。その日の朝、初木は日精と月精を招いて告げました。
いとしい子どもたちよ、よくお聞きなさい。わたしはこれから神の世界にまいります。あなたがたは人となり、ここに残って、伊豆山の神をお祀りする氏人の祖におなりなさい。そして、常に神に仕え、神と人とのなかだちの役をつとめるのですよ。力よわき人間は、神のすがたを見ることも、御教えを聞くこともできません。いまこそ、わたしはあなたがたに、秘められた神の御名と由来を伝えましょう。
そして、神仏の真実のすがたと尊き御教えを語って聞かせましょう。あなたがたは、あなたがたの子どものなかから、神を祀るべきすぐれた素質をもった子をひとり選び、口伝えに語り継ぐのです。神の真実を語るのはおそれ多いことです。ゆめゆめ、軽々しく他のひとに語ってはなりません。けれども、人びとがこの伊豆の国を守る神のことを忘れてしまうことがないように、神に仕えるあなたがたの子や孫が、代々語り継いでゆくのです。
こうして、伊豆山権現の秘められし由来と氏人の御生れの神語りは、氏人の長ひとりに代々語り継がれ、走湯山秘訣と呼ばれて、今に伝えられる詞になりました。」
熱海・龍神紀行~龍神と共に息づく街シリーズは、この初木姫の言葉とともに幕を閉じる。
龍神と共に息づく街、熱海。
熱海は、単なる”温泉”地としてだけでなく、龍脈というマグマのエネルギーを大いに感じ、その恩恵を受け取ることができる場所であった。
その恩恵は目には見えないが、おかげで心身に着いた汚れが落ち、まっさらな元気な状態に戻り、まるで命の洗濯ができたように思う。
そして、動くことの大切さ、よどませずに血や気を巡らせて生きることが、運を運び、繁栄につながることに気づかされる。
人間も大地も、この大いなる脈動のエネルギーによって生かされていることを感じる旅となった。
最後までご覧くださり、心より感謝申し上げます。
訪れる皆様の明日が、より良きものとなりますように。