神々が守る火山島ー伊豆大島ー②三宅記

伊豆諸島の神話『三宅記』・噴火造島神信仰と島嶼文化の深層
伊豆諸島は、その風光明媚な景観と豊かな自然に恵まれた観光地として知られているが、その深奥には、火山活動と共生してきた島民の信仰と歴史が息づいている。特に注目すべきは、伊豆諸島に伝わる神話『三宅記』である。これは、噴火という自然の猛威を神格化し、島を創造する力として捉えた「噴火造島神」信仰を色濃く反映した、日本でも稀有な神話である。本稿では、『三宅記』を中心に、伊豆諸島の火山信仰の起源、神話の構造、そして現代におけるその意義について考察する。
噴火造島神・自然の脅威と創造の源泉
伊豆諸島は、太平洋プレートとフィリピン海プレートの境界に位置し、活発な火山活動が繰り返されてきた。2000年には三宅島の雄山が、1986年には大島の三原山が大規模な噴火を起こし、全島民が島外へ避難を余儀なくされたことは記憶に新しい。このような噴火は、島民にとって家屋や土地を奪い、飢餓や病をもたらす過酷な現実であった。しかし、同時に、島を形作り、新たな大地を創造する力でもあった。

古代の人々は、噴火という人智を超えた自然現象を目の当たりにし、畏敬の念を抱くとともに、その背後に存在する見えない偉大な力、すなわち神霊の存在を強く意識した。この神霊が「噴火造島神」である。島民は、火山弾や溶岩などを依代(よりしろ)として神が現れると考え、それを崇め、祀り、怒りが鎮まるのを待った。
噴火造島神は、単なる破壊神ではなく、創造神としての側面も併せ持っている点が特徴である。噴火によって破壊された大地は、時を経て肥沃な土壌となり、新たな生命を育む。また、噴火によって形成された新しい地形は、独自の生態系を生み出し、豊かな自然景観を創出する。島民は、噴火の破壊力と創造力を一体のものとして捉え、噴火造島神を畏怖と感謝の念をもって崇拝してきたのである。
『三宅記』・神話の成立と構造
伊豆諸島の神話の中でも、特に重要な位置を占めるのが『三宅記』である。『三宅記』は、所蔵先によって『三嶋大明神縁起』『三宅島薬師縁起』『白浜大明神縁起』など、さまざまな名称で呼ばれている。成立は鎌倉時代から室町時代にかけてと考えられ、薬師如来が三嶋神に姿を変え、神々と共に伊豆の島々を創造し、その後、家族で島を経営していくという内容である。
『三宅記』の構造は、神話、伝説、史実という三つの要素が複雑に絡み合っている点が特徴である。神話の部分では、島々の誕生や神々の活動が描かれ、伝説の部分では、特定の場所や人物にまつわる物語が語られる。そして、史実の部分では、歴史的な事件や人物に関する記述が見られる。
『三宅記』は、元々存在していた複数の神話や伝説を基に、新たな神話として再構成されたものと考えられている。その背景には、各島の支配者が支配体制を固め、権勢を誇示するために、神話を利用しようとした意図があったとされる。また、島々の集団において、為政者によって位置付けられた神々への対応として、神々の地位や関係を明らかにする物語が必要とされたことも、『三宅記』成立の要因の一つとして挙げられる。
三島神神話から『三宅記』へ・神話の変遷
『三宅記』の原型となったのは、より古い時代の「三島神神話」であると考えられている。三島神は、伊豆諸島を含む広い地域で信仰された神であり、その起源は古代に遡る。三島神は、圧倒的な神威を持ち、人々はそれを畏敬し、服従する存在として描かれていた。このような神と人との関係は、時の為政者にとっても模範となる姿であった。

また、人々が過酷な自然環境のもとで生活するためには、互いに助け合うことが不可欠であった。そのため、集落の守護神である「氏神」「鎮守神」「産土神」が登場し、人々の信仰を集めるようになった。
島々の集団では、為政者によって位置付けられた神々への対応として、神々の地位や関係を明らかにする物語が必要とされた。これが「三島神神話」の原型となり、その後、各島の支配者が支配体制を固め、権勢をふるうために、伝承されていた複数の神話、伝説をもとに新しい神話を創作することが要請された。その結果、「三島神神話」が改変され、『三宅記』として成立したと考えられている。
『三宅記』の世界・現代への継承
『三宅記』に描かれた世界は、現代の伊豆諸島にも色濃く残っている。大島では、噴火を「御神火(ごじんか)」と呼び、溶岩流を「お流れ」、火口を昔は「みほら」、今は「お穴」と呼び崇めてきた。これは、噴火造島神に対する信仰が、太古の昔から現代まで引き継がれている証拠である。
また、伊豆諸島各地には、『三宅記』に登場する神々を祀る神社が数多く存在する。これらの神社は、島民の心の拠り所として、地域社会の結束を強める役割を果たしてきた。
近年、伊豆諸島では、火山活動が再び活発化しており、島民は常に噴火の脅威にさらされている。しかし、その一方で、噴火によって形成された新しい地形や生態系は、観光資源としての価値を高めている。
島民は、噴火造島神に対する信仰を大切にしながら、自然と共生し、持続可能な社会を築いていくことを目指している。
三原山・信仰の対象としての火山
大島のシンボルである三原山は、噴火造島神の象徴として崇められてきた。1986年の大噴火では、山頂から大量の溶岩が流れ出し、島民は避難を余儀なくされた。しかし、この噴火は、三原山に対する信仰を改めて確認する機会にもなった。
島民は、噴火を単なる災害として捉えるのではなく、神の怒りや警告として受け止め、祭祀や祈祷を通じて神の鎮静化を願った。また、噴火によって形成された新しい地形は、観光資源としての価値を高め、多くの観光客が訪れるようになった。
三原山の中央火口付近を巡る「お鉢めぐり」は、火口を間近に眺めることができる人気のコースである。このコースを歩くと、地球の鼓動を感じるとともに、噴火造島神に対する畏敬の念を抱くことができる。

まとめ・火山列島の精神風土
伊豆諸島における噴火造島神信仰は、火山列島の精神風土を形成する上で重要な役割を果たしてきた。島民は、噴火という自然の猛威を神格化し、創造の源泉として捉えることで、過酷な自然環境に適応し、独自の文化を育んできた。
『三宅記』は、その信仰を物語化した神話であり、島民のアイデンティティを形成する上で重要な役割を果たしてきた。現代においても、『三宅記』の世界は生き続けており、島民は噴火造島神に対する信仰を大切にしながら、自然と共生し、持続可能な社会を築いていくことを目指している。
伊豆諸島の火山信仰は、自然に対する畏敬の念を忘れずに、持続可能な社会を築いていくためのヒントを与えてくれる。今後も、伊豆諸島の火山信仰に関する研究を深め、その意義を広く発信していくことが重要である。