常陸国の神々・大宝八幡宮

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大宝八幡宮 ・白い大蛇が守る金運と歴史の聖地

茨城県南西部に位置する下妻市。その豊かな田園風景の中にひっそりと佇む大宝八幡宮は、金運、必勝祈願で名高い、歴史と信仰が息づく聖地です。大宝元年に創建された由緒正しきこの神社を訪れ、その神秘的な魅力に深く触れる旅をしてきました。

緑豊かな下妻市へ・神聖な場所への序章

都心から車を走らせること数時間。徐々に視界が開け、緑豊かな田園風景が広がります。下妻市に入ると、道路沿いには梨やブドウ、栗などの畑が点在し、秋の収穫を控えた豊かな実りが目に飛び込んできます。特に下妻市は、みずみずしい幸水梨の産地として有名で、その甘い香りが漂ってくるようです。また、下妻市はコシヒカリの美味しい産地としても知られており、もちもちとした食感で冷めても美味しいと評判のミルキークイーンは、実はこの下妻市が発祥の地なのだそうです。豊かな自然の恵みが、この土地を育んでいることを実感します。

大宝八幡宮へ向かう道は、まるで聖域へと導かれるかのような、静かで穏やかな道のりです。喧騒から離れ、心静かに神聖な場所へと意識を集中させていきます。

隋神門・歴史と威厳を感じる神域への入り口

大宝八幡宮の入り口を飾るのは、昭和天皇御座位六十年を記念して建立された隋神門です。重厚感のある佇まいは、長い歴史を物語っているかのようです。一対の仁王像が、まるで狛犬のように神前に立ち、邪気や穢れが近づかないように睨みを効かせています。その力強い姿は、参拝者を守り、神聖な空間へと誘う門番のようです。

かつて大宝八幡宮の境内には、大宝八ヶ寺と呼ばれる八つの寺院が存在していました。この事実は、かつてこの地が神仏習合の信仰の中心地であったことを物語っています。隋神門をくぐると、その名残を感じさせる、荘厳で独特な雰囲気が漂っていることに気づきます。神と仏が共存していた時代の面影が、今もなおこの場所に息づいているのです。

ご由緒・古代からの歴史と信仰の軌跡

大宝八幡宮の歴史は、大宝元年(701年)にまで遡ります。藤原時忠公が、筑紫(現在の福岡県)にある宇佐神宮を勧請創建したのが始まりとされています。その長い歴史の中で、大宝八幡宮は多くの人々の信仰を集め、様々な歴史的な出来事を見守ってきました。

平安時代末期には、すでに八幡信仰が盛行していたことが、天台宗の古い経文の奥書からも伺えます。そこには「治承三年(1179年)己亥七月二十二日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」という記述があり、当時の信仰の深さを物語っています。

また、平安時代中期に起こった平将門の乱においても、大宝八幡宮は重要な役割を果たしました。平将門公は、戦勝祈願のために度々大宝八幡宮に参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられています。このエピソードからも、大宝八幡宮が古くから霊験あらたかな場所として、人々に崇められていたことがわかります。

鎌倉時代には、源頼朝公が奥州征伐平定の折に、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、摂社若宮八幡宮を創建しました。これは、「吾妻鏡」にも下妻宮として記されており、源氏にとっても重要な神社であったことがわかります。

【ご祭神:殖産興業と武道の守護神】

大宝八幡宮のご祭神は、以下の三柱です。

誉田別命(ほんだわけのみこと): 第十五代応神天皇(八幡様)

足仲彦命(たらしなかつひこのみこと): 第十四代仲哀天皇

気長足姫命(おきながたらしひめのみこと): 神功皇后(仲哀天皇の皇后)

八幡大神様は、その御代に治山治水、学問、漁猟、商工、土木建築、交通運輸、縫製、紡績など、あらゆる殖産興業の途を開発指導された文化の生みの親神であると同時に、武の道をつかさどる神としても世に名高い神様です。まさに一切生業の守護神として、人々の生活に限りなき恩恵を授けてくださるとされています。

大宝八幡宮は、その御名に示されるように、財運招福の願い、厄除、交通安全、事業繁栄、家内安全、安産など、様々なご利益を求めて多くの人々が訪れます。その御神徳は広大にして無辺であり、日々の生活に安寧と幸福をもたらしてくれると信じられています。

【境内散策:見どころ満載の神聖空間】

大宝八幡宮の境内は、静かで厳かな雰囲気に包まれており、歩いているだけで心が洗われるようです。

参道の狛犬・ 参道の左右には、数多くの狛犬がズラリと並んでいます。それぞれ表情や形が異なり、見ているだけでも楽しめます。

大釜・ 境内に鎮座する大釜は、その存在感で訪れる人を圧倒します。どのような用途で使用されていたのかは定かではありませんが、長い歴史の中で様々な儀式に使われてきたのかもしれません。

拝殿・ご本殿・ 現在の建物は、天正五年(1577年)に下妻城主多賀谷尊経によって再建されたものです。三間社流造という建築様式で、建ち上がりも高く、柱も太くてどっしりとした重厚感があります。組物は小柄で複雑に組み合わされ、桃山時代の地方色が濃く表れています。屋根は茅葺きでしたが、昭和40年に茅葺形銅板葺に改められました。天正期の地方的建築の有様を示す貴重な文化財として、国の重要文化財に指定されています。

鐘楼・明治の頃、神仏分離により取り壊された鐘楼が、平成の世になり復建されました。美しい音色を奏で、参拝者の心を癒してくれます。

大宝七福神・境内には、七福神を祀るお堂があり、七福神巡りを楽しむことができます。それぞれの神様にご利益があり、開運招福を願う人々で賑わっています。

若宮八幡宮・源頼朝が奥州征伐を達成したのを期に、下河辺行平に命じ文治五年(1189)に勧請させた八幡宮。若宮様は第十六代仁徳天皇のことで、その父親が第十五代応神天皇八幡様です。御本殿には第十四代仲哀天皇をお祀りしているので、親・子・孫と三代続けてお祀りしていることになります。

神馬舎・大宝八幡宮では流鏑馬も行われています。その様子を思い浮かべながら、神馬舎を見学するのも良いでしょう。

黒鳥神社・ 大国主命を祀ったお社。縁結びの御利益があるといわれています。社伝によると、日光東照宮の眠り猫などで有名な左甚五郎が、若い頃に大宝八幡宮に滞在し、残したという堀り物があります。

下妻市の歴史・古代からの足跡を辿る

大宝八幡宮を訪れる際には、下妻市の歴史にも触れてみましょう。

下妻市の隣、真壁郡関城町にある西原遺跡からは、約2万8000年前の遺跡が見つかっており、日本最古の足跡が発見されています。これは、パリノ・サーヴェイ社によるテフラ分析及び学習院大学放射性炭素年代測定室による測定の結果、約1万年前以降のものであるという結果報告を受け、日本最古の足跡であることが裏付けられました。

また、縄文時代の住居跡から出土した土器は、茨城県では初めてのもので、長野県を中心に出土している土器と類似していることから、当時の西原遺跡の縄文人が中部山岳地の縄文人と深い文化交流があったことを示すものと考えられています。

平将門公との繋がり・伝説と歴史が交錯する

平安時代中期、平氏一族が常陸において強大な勢力を誇り、下妻市域は平将門の乱の舞台となりました。平将門公はたびたび大宝八幡宮に参拝し、「八幡大菩薩の使い」を名乗る一人の巫女が現れ、朕の位を蔭子平将門にお授けいたす。と告げられました。その即位を正当化するものとして、八幡大菩薩と菅原道真が登場し、平将門に“天皇の位を授け奉る”と告げたのでした。その八幡宮が、こちらの大宝八幡宮と伝えられています。

大宝城跡・戦国時代の記憶を留める場所

大宝神社の境内があるこの地には、南北朝時代には大宝城という城がありました。城主は下妻政泰公です。大宝城は、共に戦った関宗祐の居城、関城(現在の筑西市にあった)から南へ1kmほどです。南北朝のころ、関城と大宝城の間には沼があり、互いに舟で行き来していました。1341年11月春日中将顕国が興良新皇を奉じて小田原城よりここに移ってから、東国における南朝方の拠点となった。その後、北朝方の猛攻を受けて苦戦を続け、食料不足と城内不和のため、1343年11月12日に落城。城主下妻政泰は討死にした。

神聖な場所・心が洗われるような体験

大宝八幡宮を訪れると、心が洗われるような清々しい気持ちになります。参拝する前とした後では、気分が全く異なります。参拝後は大きな安心感に包まれ、肩の荷が軽くなるような解放感を覚えました。ここまで晴れ晴れとした気分になるのは、いつ以来かと思うほどの爽快感があります。

大宝城の城主が戦に敗れ自刃するという歴史をもつ大宝八幡宮ですが、城主は今は晴れ晴れと成仏されたのでしょう。訪れる人々を温かく迎え入れ、癒しと力を与えてくれる、そんな神聖な場所です。

金運が大きく拓ける神社・訪れるべき理由

大宝八幡宮は、その名が示す通り、金運に関するご利益を頂ける神社として知られています。多くの人が、財運招福を願い、この地を訪れます。

  1. 財運招福・大宝八幡宮は、その名が示す通り、金運に関するご利益があるとされています。
  2. 事業繁栄・事業を営む人々にとっては、事業の成功を祈願する場として最適です。
  3. 家内安全・家族の安全と幸福を願う人々にとっても、心安らぐ場所となるでしょう。
まとめ・歴史と信仰が織りなす聖地

大宝八幡宮は、単なる神社という枠を超え、歴史、自然、そして信仰が深く結びついた聖地です。その長い歴史の中で、多くの人々の信仰を集め、様々な歴史的な出来事を見守ってきました。金運アップを願う方はもちろんのこと、歴史や文化に触れたい方、心を癒したい方、そして自分自身を見つめ直したい方にとって、大宝八幡宮はきっと特別な場所となるでしょう。ぜひ一度、足を運び、その神秘的な魅力に触れてみてください。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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