パワースポット

神道~日本人の心の原点と現代における意義

鳥居
vibration

神道は身近にある

神道」と聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは神社であろう。初詣、お宮参り、七五三、厄除け、受験の合格祈願、交通安全祈願など、人生の節目節目に神社を訪れ、様々な祈願をするという行為は、日本人にとってごく自然な習慣となっている。近年では、パワースポットとして注目を浴び、全国の神社を巡る人も増えている。しかしながら、神社でお祀りしている神々の教え、すなわち神道の真髄については、あまり知られていないのが現状である。

神道とは、日本人の祖となるご先祖を敬い、感謝し、お祀りする信仰である。同時に、そのご先祖の力、すなわち神の力を借りて、国家を治め、日本人の開運を可能とする道でもある。神道は、日本人の精神性、価値観、行動様式といった質の基礎となるものであり、その豊かな知恵に触れることで、私たちは生きる目的や意味を見出すことができる。

欲望と「素の心」・二つの心の葛藤

神道では、私たちの心の中には、様々な悩みや苦しみを生み出す「欲望」という心と、もう一つ、神々(日本人のご先祖)から与えられた「素の心=神の意思」があると考えられている。「素の心」とは、生まれながらに備わっている純粋な心であり、神の意思と繋がっているとされる。古来より日本人は、この「素の心」を軸として、様々な欲望(食欲、金銭欲、名誉欲、おごりの気持ち、過度の性欲など)を自ら制御し、祓いながら、国づくりを行ってきた。欲望をコントロールすることの重要性を深く認識していたのである。なぜなら、「おごれるものは久しからず」という言葉が示すように、心の乱れは、個人の破滅だけでなく、国家の混乱にも繋がると考えられていたからだ。

現代の日本を築き上げたのは、遠いご先祖である神々が、日本という国を創るために、様々な困難を乗り越え、たゆまぬ努力を重ねてきた結果である。私たちにとって、自身の欲望を心から祓い除くことは、永遠の課題である。

国づくりと労働観・神事としての労働

遠いご先祖である神々が、日本を創り上げたように、私たちも「より良い日本を創ろう」という高い志を持って働くことによって、ご先祖の生き方に近づくことができる。より良い国を創るという思いで働くこと、それはすなわち神道に通じる道なのである。この考え方は、日本人の労働観の根底に流れている。働くことは単なる生活の糧を得るための手段ではなく、神事であり、この世における自己を鍛錬する修行、あるいは荒行なのだという意識が、かつての日本人には深く根付いていた。

戦後の焼け野原から、奇跡的な復興を遂げ、経済大国となった背景には、「より良い日本を創ろう」という強い精神があった。しかし、物質的に豊かになり、飽食の時代を迎えた現代社会では、人々は傲慢になりがちで、自らの本質を見失い、欲望を制御することが困難になっている。

“もっとお金があれば幸せになれるのに” “お金も地位も名誉も欲しい”という欲望に囚われ、他人と自分を比較し、自分より裕福な人に対して卑屈になったり、反対に、貧しい人や職業で人を蔑んだりする。このように、“お金があるか、ないか”という尺度だけが、今の日本人の価値観の一つになっている。そして、様々な欲望の葛藤の中で苦しんでいる

このような状況に陥っている私たちは、心の奥底に眠る「日本人の素の心=神の意思」を普段は忘れがちになっている。

日本人の「素の心」・神の意思の顕現

私たちは、もともと遠いご先祖である神々と同じ「素の心=神の意思」を持っている。この日本人の“素の心”は、様々な場面でその姿を現す。例えば、震災などの災害に見舞われた際、略奪や暴動が起こることなく、人々が互いに協力し合い、困難を乗り越えようとする姿は、まさに「素の心」の現れである。また、自分が大変な状況にありながらも、他人を思いやることを忘れず、助け合おうとする姿も、同様に「素の心」の現れである。この行動は、まさに日本の国を創った神々(ご先祖)の意思に他ならない。

私たちにとっては、ごく普通の行動なのかもしれないが、その根底には、神の意思が深く関わっているからこそ、このような行動をとることができるのである。「素の心=神の意思」があるからこそ、社会的な規律や倫理観が形成され、人々は秩序を保って生活することができる。

人が見ていないところでも、正しい行動をとろうとする人や、見返りを求めずに親切な行いをする人、他人を思いやる人、そして清潔に掃除された美しい街並みなど、私たちは日常の中で、そのような姿を多く見かける。これらの行為の根本にある「素の心=神の意思」こそ、私たちが生涯をかけて追い求めるべきものではないだろうか。

罪、穢れ・欲望がもたらす心の傷

祝詞である「祓詞(はらへのことば)」の中に、「罪穢れ(つみけがれ)を祓い給へ」という言葉がある。この「罪穢れ」とは、具体的に言えば、過度な欲望(食欲や性欲など)のことである。その奥にある尊い神の意思、すなわち「素の心」を、欲望によって傷つけてはならないというのが、古くからの神道の教えである。私たちが「素の心=神の意思」に立ち返ること、これ以上に大切なことはない。

日本の神々、ご先祖は、「素の心=神の意思」に基づき、より良い国づくりに尽力してきた。欲望に駆り立てられて行動したのではない。なぜ「祓(はらえ)」という行為が必要なのかと言えば、それは、私たちがご先祖と同じように行動することによって、神に近づくことができるからである。

この考え方こそが、神道の根本にある信仰である。何よりも大切なことは、私たちの本来の姿である「素の心=神の意思」を取り戻すことである。自分の欲望を満たすためではなく、より良いものを創り出そうとする行動が、他人を思いやる心、他人を助けようとする心へと繋がっていくのである。

身近にある神の意思・受け継がれるDNA

日本全国には、8万1336(文化庁調べ)もの神社が存在し、「古事記」や「日本書紀」、「ホツマツタヱ」などの古文献に記されている神々の心は、今もなお生き続けている。さらに重要な点は、わが国の神々は、私たちと血が繋がっているご先祖であるということである。したがって、神々の子孫である私たちの中には、そのDNAが受け継がれている。私たちは、生まれながらにして、神の意思を受け継いでいるのである。神々は、感謝の対象であると同時に、私たち自身の心にも既に宿っている存在なのである。

すべての人は、生まれた時に、既に神の霊格を与えられている。しかし、ほとんどの人が、そのことに気づかず、目を向けようとしない。それは、欲望に支配され、見えなくなってしまっているからである。そして、私たちは、自分の欲望を自分の本心であると錯覚している

本当の本心とは、生まれた時から神様によって与えられている「素の心=神の意思」の方である。

その「素の心」は、自分の欲望を祓い除いた奥にあるもの。それは、他人に教えられて理解するものではなく、自分自身で悟るものである。

そのために、私たちは、日々、欲望という心の穢れを祓い、自分の「素の心」へと回帰することを目指して生きていくのである。

私たちは、誰もが、自分の「素の心=神の意思」へと戻る旅の途中にある。

穢れをなくすには・少食と悟り

そして、穢れを少なくするには、身体を汚さない食生活を心がけること、すなわち、大食や暴食を改め、少食を実践することである。人の欲望は、全てこの食欲から始まると言っても過言ではない。食欲の強い人ほど、他の欲望も増え、悩みも多くなり、苦しみも深くなる傾向にある。

反対に、食を慎むことが普通になると、欲望から解放され、心が自由になる。

そのように食を慎み続けると、ご先祖から受け継いだ「素の心=神の意思」がよみがえってくる。このような食生活を続けることで、やがて神の意思を理解し、そのように無意識のうちに行動するようになる。これこそが、悟りの道なのである。

現代社会において、私たちは、欲望に溢れた生活を送ることが当たり前になっている。しかし、その生活の中で、自分の心を見つめ直し、内なる神の意思に気づくことができれば、私たちは、より豊かな人生を送ることができるはずだ。

神道とは、私たち自身の内なる神性を呼び覚ますための道であり、それは、決して特別なものではなく、私たちの日常の中に存在している。私たちは、常に神と共にあり、神の意思を体現しながら生きている。そのことに気づき、感謝の念を抱きながら生きることが、神道の教えに従うということではないだろうか。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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