日本武尊の冠が眠る走水神社

走水(はしりみず)神社

 

神奈川県横須賀市西浦賀1-1-13

ご祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)

    弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)

 

 

横須賀市の東端にご鎮座される走水神社。

そのご創建は大変古く、時は日本武尊の東国平定にまで遡ります。

 

 

走水という地名は、古事記や日本書紀に表されており、大和朝廷時代には上総(千葉県の一部、房総半島の北部)を通り、東北地方に渡る利便性の良い道として、古東海道が通じていました。

古東海道とは、古代の東海道であり、一番古い古代東海道のルートは、おおよそ、

足柄峠を越え、国府津のあたりから三浦半島を横切り、走水から船で千葉に渡り北上すると推定されています。

 

 

走水の対岸には房総半島を望むことができ、近くの観音崎から千葉県富津までわずか約7kmほどです。

東京湾の中でも、観音崎と千葉県富津岬を結んだラインより北側は内湾と呼ばれ、中央部でも水深は25m~30mと浅い海が占めていて穏やかな海となっており、当時の船の行き来にも適していたのでしょう。

 

日本武尊の東国平定に関わる道が、この古東海道と呼ばれており、その後、東海道は時代と共にそのニーズに合わせて道のりが変化していきました。

現在の東海道は、江戸時代に誕生した東海道です。

 

古代の東海道の要所の一つである走水にご鎮座されるこちらの走水神社。

日本武尊がこの地を訪れ、上総(かずうさ)へと渡る際に村民が冠を賜り、それを石櫃(いしびつ)に納め、お祀りしたのが神社の始まりと云われています。

 

走水神社のご由緒

走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱をお祀りしております。

景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため日本武尊にその鎮定を命じました。
勅命を奉じて日本武尊は、伊勢神宮に参詣され戦勝祈願をなし、神宮の斎宮であった叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より神宝の雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)と火打袋を授けられ、東国に東征の軍を起こされました。

途中、静岡(焼津)において賊にだまされ火攻めの難に遭遇されましたが雨叢雲之剣で草を薙払い向火を放ち形勢を逆転させて賊を討伐したといわれ、これよりこの神宝を草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の御神宝となっております。

日本武尊一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り走水の地に到着されました。
ここに、御所(御座所)を建てました。(現在の御所が崎といわれています)

走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。(走水神社の創建です)

日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、海中に身を投じられました。たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。

上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。

奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書紀』にも記されております。
また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に櫛が流れ着きました。村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました。

(走水神社公式ページより)

 

 

小高い丘の上に社殿があります。

 

 

社殿右手奥には水神社。

走水の地は特に水との縁が深く昔から水をお祀りしています。また、水の化身水神として河童の伝説もあります。河童は想像上の動物で、遭難した人を助けたり、漁業の手引きをし大漁をもたらしたとも言い伝わっています。

 

 

 

水神社には河童がお祀りされていますが、こんな言い伝えが残っていました。

河童の恩返し

走り水神社の裏山にあった清流には、どんな日照りが続いても涸れることはなく、そこにはたくさんの河童が暮らしておったそうな。

ところが、亜悪の河童の中には、いたずら者もおって、時々里に下りてきては悪さをしたそうじゃ。

心優しい村人たちも、度重なる河童のいたずらに困り果てて。いつか折りがあったら懲らしめてやろうと思うようになったそうじゃ。

ところが、そんなある日、突然ゴーっと地鳴りがしたかと思うと、村中がユッサユッサと大きく揺れだそ、村は大騒ぎになりよった。

目の前の海や、神社の裏の水がボチャボチャと音をたてたそうな。

その時、村の長が大声で叫んだと。

「津波がくるぞー。船を上げて神社の裏山ににげろー」

村はまたまた大騒ぎになりよった。

この騒ぎを聞いた河童たちは集まって、いつも村人たちに迷惑をかけていたんだから

「村人が困っている今、みんなで恩返しをしよう」と相談したそうな。

河童たちは、山の上から大きな岩をゴロゴロと押して浜まで運び、村の海岸に沿って大きな堤防を作ったそうじゃ。

そして、河童たちは一匹残らず水の中に入り、岩を抑えて村を守ろうとしたんじゃと。

ところが、その日の津波は今までにない大きなものじゃった。

それでも、河童たちが、岩を押さえてくれたおかげで、走り水の村は大きな被害にあわずにすんだそうな。

しかし、必死に村を守った河童は一匹残らず津波の犠牲になってしまったそうじゃ。

村人たちは、命をかけて守ってくれた「いたずら河童」を思って涙を流し、感謝の心を忘れんように「村の守り神」になってもらおうと、神社の樟の木の根元に「河童の神様」を祀ったそうじゃ。

 

「走水古老のはなし」より

 

 

明治43年6月5日建立された、弟橘媛命の石碑。

東郷平八郎、伊東祐亨、井上良馨、乃木希典、高崎正風、
上村彦之丞、藤井茂太の7名が発起人となり建立されました。除幕式にも参列しています。

 

 

社殿左手から、さらに上に登る道が続き、その先には、神明社、須賀神社、諏訪神社があります。

 

 

来た道を振り返ると、高台から海へと続く素晴らしい景色を眺めることができます。

 

 

とても良い気が流れている神社です。

規模は大きくなく、こじんまりとしていますが、この規模に見合わないほどの大きな力に圧倒されます。

そして地元の方々に大切にされている様子が伝わり、小高い丘の上からこの地を優しく見守っている神様の気配を感じました。

ここを訪れると「世渡り上手になる、とんとん拍子に出世する、開運する」というご利益を頂けかもしれません。

 

神社からほど近いところには、横須賀美術館もあります。

美術館入り口にあるイタリアンダイニングで美味しい料理に舌鼓を打ったり、海を眺めながらお茶を飲むこともできます。

 

 

東京 南青山に本店を構える「リストランテ アクアパッツァ」の日高良実シェフが総料理長を務める
「横須賀アクアマーレ」。

 

 

天気の良い日は眺めが最高です。

横須賀の海は軍艦や貨物船、漁船、高速ジェット船など様々な船が行き交い、見ていて飽きません。

 

 

ぜひご参拝下さい。

拝殿からさらに上に登る際は、スニーカーなど歩きやすい靴でお越しください。

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