伊勢国の神々-①多度大社

伊勢国二宮・多度大社~神々の息吹を感じる聖地巡礼
古来より「神国」と称えられ、豊かな自然と歴史に育まれた伊勢国。その地は、日本の精神文化を支える伊勢神宮を擁し、数多の神々が息づく霊験あらたかな場所として、人々から篤い信仰を集めてきました。今回、私はかつて東海道の大国として栄華を極めた伊勢国、現在の三重県東部に位置する地を訪れ、その神髄に触れるべく、神々を祀る社を巡る旅に出ました。
旅の始まりは、桑名市に鎮座する伊勢国二宮・多度大社。桑名駅から車を走らせること約20分、緑深き多度山の麓に、その荘厳な姿を現します。多度大社は、北伊勢地方の総氏神として、「北伊勢大神宮」とも呼ばれ、地元の人々からは厚い信頼と敬愛を集めています。
多度大社の起源と歴史・龍神伝説と皇室との深いつながり
多度大社の歴史は、古く遡ること5世紀後半、雄略天皇の御代に創建されたと伝えられています。社伝によれば、かつて多度山には一つ目の龍が棲み、その龍神を祀ったことが多度大社の始まりであるとされています。この龍神伝説は、多度大社が古来より自然崇拝と深く結びついていたことを示唆しています。

また、多度大社は皇室との繋がりも深く、717年(霊亀3年)には、元正天皇が多度山の泉で手や顔を洗われたところ、皮膚が滑らかになり、痛みが治ったという逸話が「続日本記」に記されています。この出来事を記念し、年号は「養老」に改められたと伝えられており、多度大社が皇室からも特別な存在として認識されていたことが伺えます。

伊勢国二宮としての多度大社・事実上の一宮としての存在感
多度大社は、伊勢国二宮とされていますが、その歴史的背景や規模、信仰の厚さなどから、事実上の一宮であった可能性も指摘されています。古代には、社殿背後の多度山を神体山として崇め、数多の磐座やご神石が多度山の中腹に存在していたと記録されています。これらの事実は、多度大社が古代祭祀の中心地として、重要な役割を果たしていたことを物語っています。
また、この地域を支配した豪族である桑名首(くわなのおびと)の祖神である天津彦根命(あまつひこねのみこと)を祀っていることから、伊勢神宮との関係も深く、「お伊勢参らば、お多度もかけよ。お多度かけねば片参り」と謡われたことからも、その重要性が窺えます。
歌川広重 『六十余州名所図会』より「伊勢 朝熊山 峠の茶屋」

多度大社の境内を巡る:神聖な空間と自然の調和
多度大社の境内は、豊かな自然に囲まれ、一歩足を踏み入れるごとに神聖な空気が満ち溢れています。長い石段を上ると、まず目に飛び込んでくるのは、神馬「錦山(きんざん)」号の姿です。白く美しい馬体は、神々しい雰囲気を醸し出し、訪れる人々を魅了します。

多度山は、古くより神がおられる山として信仰が深く、人々は祈りを捧げてきました。その願いを神に届ける使者の役割を果たすのが、多度大社に1500年前から棲むといわれる白馬です。神は馬に乗って降臨するという言い伝えがあるように、神と馬の関係は深く、多度大社で行われる上げ馬神事は、その年の豊作、凶作を占うために行われています。

手水舎で心身を清め、鳥居をくぐるごとに、空気は一層澄み渡り、神聖な空間へと誘われます。境内には、松尾芭蕉の句碑がひっそりと佇んでいます。芭蕉が元禄二年(千六百八十九年)に多度大社へ参拝した際に詠んだ「宮人よ 我が名を散らせ 落ち葉川」という句が刻まれており、芭蕉が多度大社の自然美に心打たれた様子が伝わってきます。この句は、芭蕉が美濃の門人谷木因とともに多度神社に詣でた時の落書であり、俳書『笈日記(おいにっき)』にも収録されています。

白馬舎には、古くから伝わる白馬伝説に因んだ白馬が納められています。馬は非常に歯の丈夫な動物ということで、これにあやかった『歯ぎしり除けの豆』が頒布されており、訪れる人々から人気を集めています。
美御前社・美を司る女神への祈り
於葺門(おぶきもん)の手前には、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る美御前社(うつくしごぜんしゃ)があります。古来より、耳・鼻・口の病気や女性特有の病に御加護を下さるという信仰があり、穴のあいた石をお供えし、病気の快癒を願う方々が多く参拝されます。また、参拝すると心身ともに美しくなると人気があり、その名の通り非常に美しいお社です。

本宮と別宮・神々の力が結集する聖域
鳥居の奥の門、於葺門(おぶきもん)をくぐると、本宮と別宮がお祭りされているご神域へと足を踏み入れます。緑が深くなり、山から流れてくる神聖な空気が満ち溢れ、清らかな川が流れ、まさに神域と呼ぶにふさわしい、厳かで神秘的な雰囲気に包まれます。下界とは隔絶された、別世界に来たかのような感覚を覚えます。


古来よりの御手洗所(みたらしじょ)である落葉川は、清らかな流れで心身を浄化し、神聖な気持ちで参拝へと向かう人々を迎えます。

別宮には、金属工業の祖神『天目一箇命(あめのまひとつのみこと)』が祀られています。天目一箇命は、製鉄や金作りの神として、金属工業に携わる人々から厚い信仰を集めています。本来は片目が潰れてしまった龍神であり、現代では習合化し同一視されるようになりました。
本宮・天津彦根命が鎮座する神殿
本宮には、天津彦根命が祀られています。天津彦根命は、雨や風を支配され、命のもととなる農業水産を守護し、難を滅し、願を成就する神として、古くから崇められてきました。

多度大社の本宮は、お扉を設けない神殿という珍しい造りになっています。これは、天津彦根命が雨や風を操り、人々の生活に恵みをもたらす存在であることから、神は常に人々の近くにいて、すべての人に平等に接していることを象徴していると言われています。

また、本宮と別宮の神様が力を合わすことで天候を支配するといわれており、雨乞や日和乞の御祈願も行われます。時に龍神となり天翔けり慈雨を恵むという信仰もあり、古来より“神殿には御扉を設けない”というめずらしい造りになっています。

多度大社参拝を通して感じたこと・神と人との共存
多度大社を参拝し、私が感じたことは、神と人間は昔も今も変わらずに共存しているということです。扉を設けない神殿は、神は常に人々の近くにいて、すべての人に平等に接していることを示しているように感じられました。

ご本殿、別宮からは、清々しく優しい神聖な空気が流れ、訪れる人々の心を癒し、安らぎを与えてくれます。多度大社は、神々の息吹を感じ、自然との調和の中で、神と人との繋がりを再確認できる、そんな場所でした。
今回の多度大社への参拝を通して、私は日本の精神文化の根底にある、自然崇拝や神道といった信仰に触れることができました。また、神々と人々との深い繋がりを肌で感じ、心が豊かになる貴重な体験をすることができました。多度大社は、単なる観光地ではなく、神聖な場所であり、訪れる人々に心の安らぎと希望を与えてくれる、そんな特別な場所だと感じました