平将門公をお祀りする神社③兜神社

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兜神社・東京証券街の精神的支柱、歴史、信仰、そして未来への架け橋

東京都中央区日本橋兜町。この場所は、東京証券取引所(以下、東証)を中心に、日本の金融経済を牽引する一大拠点として知られています。しかし、その喧騒としたビジネス街の一角に、ひっそりと佇む神社があります。それが、兜神社です。東証本館のすぐ北側、道路を挟んで日本橋川に面したその小さな社は、証券街の守護神として、長きにわたり人々の信仰を集めてきました。

単なる場所としての鎮座を超え、兜神社は兜町の歴史、ひいては日本の金融史そのものを体現する存在です。その名前の由来となった兜塚の伝説、時代の変遷と共に移り変わってきた信仰の対象、そして東証との深い関わり。これら全てが、兜神社という存在を特別なものにしています。この神社を深く掘り下げることは、日本の経済史、そして人々の精神史に触れることでもあるのです。

1.兜町誕生の起源・伝説の兜塚と武将の祈り

兜町の名前のルーツは、この地に古くから存在した「兜塚」にあります。この塚の起源には諸説ありますが、最も有名なのは平安時代後期の武将、源義家(みなもとのよしいえ)にまつわる伝説です。

奥州征伐という、東北地方における大規模な戦役を終え、京へと凱旋する途中、源義家はこの地に立ち寄りました。長年の戦いを終え、多くの犠牲者を出したことを受け、義家は自らの兜を土中に埋め、塚を築き、戦勝を感謝するとともに、鎮魂と平和への祈りを捧げたと伝えられています。この塚こそが、兜塚であり、兜町という地名の由来となったのです。

義経

源義家は、単なる武将としてだけでなく、武勇と人徳を兼ね備えた人物として、後世に語り継がれています。その義家が、戦いの象徴である兜を埋め、平和を祈ったという行為は、この地が持つ特別な意味を物語っています。兜塚は、単なる史跡ではなく、武将の魂、そして平和への願いが込められた場所なのです。

また、兜塚の起源については、平安時代の武将、平将門(たいらのまさかど)が戦の際に兜を埋めた場所であるという説や、古代の古墳であるという説も存在します。これらの説は、兜塚が特定の時代や人物に限定されるものではなく、古くから何らかの形で信仰の対象となっていたことを示唆しています。

2.御祭神の変遷・時代のニーズに応える神々の存在

現在の兜神社の御祭神は、商業の神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を主祭神とし、縁結びの神である大国主命(おおくにぬしのみこと)と、商売繁盛の神である事代主命(ことしろぬしのみこと)を合祀しています。しかし、兜神社の歴史を紐解くと、その御祭神は時代と共に変化してきたことがわかります。

明治時代初期、兜神社が創建された当初は、兜塚にゆかりのある源義家が御神霊として祀られていました。しかし、その後、三井家が信仰していた三囲稲荷神社の境内社である福神社から分霊を受け、大国主命と事代主命が合祀されることになりました。

この御祭神の変更は、兜神社の性格を大きく変えるものでした。武将である源義家を祀る神社から、商業の神である倉稲魂命、縁結びの神である大国主命、商売繁盛の神である事代主命を祀る神社へと変化したのです。この変化の背景には、時代のニーズの変化がありました。

明治時代に入り、日本の経済は大きく発展し、商業が重要な役割を果たすようになりました。また、人々の価値観も多様化し、個人の幸福や成功を願う気持ちが高まりました。こうした時代の変化に対応するため、兜神社は、商業の神や縁結びの神を祀ることで、人々のニーズに応えようとしたのです。

現在、兜神社に祀られている神々は、それぞれ異なるご利益をもたらすとされていますが、共通しているのは、人々の幸福や繁栄を願う神々であるということです。兜神社は、単なる商業の神を祀る神社ではなく、人々の様々な願いを受け止め、支える存在なのです。

3.東京証券取引所との深いつながり・証券街の守護神としての役割

兜神社が現在の姿になった背景には、東京証券取引所(東証)との深いつながりがあります。明治11年(1878年)に東証の前身である東京株式取引所が設立された際、取引所が兜神社の氏子総代となりました。この時から、兜神社は証券街の守護神として、東証と共に歩んできたのです。

東証は、日本の経済を支える重要な機関であり、そこで働く人々は、常に大きなプレッシャーと責任を背負っています。株価の変動、経済状況の変化など、日々様々な情報に触れ、判断を迫られます。そうした状況下で、兜神社は、東証で働く人々にとって、心のよりどころとしての役割を果たしてきました。

東証の関係者は、毎年、兜神社に参拝し、取引の安全と繁栄を祈願します。また、年末年始には、多くの投資家が訪れ、新年の相場が良い方向へ向かうよう祈願します。兜神社は、東証で働く人々、そして投資家にとって、単なる神社ではなく、心の安らぎと希望を与える存在なのです。

兜神社と東証の関係は、単なる氏子総代という関係にとどまりません。兜神社は、東証の歴史、そして日本の金融史を象徴する存在として、東証と共に歩んできたのです。東証の発展は、兜神社の発展でもあり、兜神社の存在は、東証にとっても重要な意味を持つと言えるでしょう。

都市開発と神社の移転・変化する時代における神社の姿
兜神社

兜神社は、その歴史の中で、何度か移転を経験しています。昭和2年(1927年)には、日本橋川と楓川が分岐する現在の場所に移転し、鉄筋コンクリート造りの社殿が造営されました。そして、昭和46年(1971年)には、首都高速道路の建設に伴い、再び位置を移動し、現在の社殿に建て替えられました。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
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