伊勢国の神々ー⑦月読宮

魂の癒しを求めて、静寂の中に佇む月読尊を訪ねる
伊勢神宮への参拝を終え、賑やかな宇治山田の街に戻り、再び車を走らせた。次に向かうのは、皇大神宮の別宮、月読宮である。伊勢市駅からほど近い場所に位置する月読宮は、喧騒から離れた静寂に包まれた場所だと聞いていた。その言葉に惹かれ、都会の喧騒で疲れた心を癒やし、魂を静めたいという思いを胸に、車を走らせた。
伊勢市中村町。ナビゲーションの指示に従い、細い道を抜けていくと、鬱蒼とした木々に囲まれた空間が現れた。そこが月読宮だった。鳥居をくぐり、一歩足を踏み入れると、空気が一変する。ひんやりとした静寂が辺りを包み込み、まるで別世界に迷い込んだかのようだ。木々のざわめき、鳥のさえずりだけが聞こえる、静かで落ち着いた空間。都会の喧騒で張り詰めていた心が、徐々に解き放たれていくのを感じた。
月読宮(つきよみのみや)・静寂の中に佇む、魂を癒やす聖地
月読宮は、その名の通り、月を司る神である月読尊(つきよみのみこと)を祀る神社である。天照大御神の弟神であり、外宮別宮の月夜見宮にも祀られている。月の満ち欠けを司り、暦を教える神として、古くから人々に信仰されてきた。
「月を読む」と記されるその名前には、深い意味が込められている。月は、古来より人々の生活と密接に関わってきた。月の満ち欠けは、潮の満ち引きを左右し、農耕のサイクルを決定づける。月を観測し、暦を作り、季節の移り変わりを知ることは、人々の生活を豊かにし、文化を育む上で欠かせない要素だった。月読尊は、その月の力を司り、人々に知恵と豊穣をもたらす神として崇められてきたのだ。
月読宮は、単に月読尊を祀るだけの場所ではない。そこは、月が持つ神秘的な力と静寂が満ち溢れた、特別な空間である。訪れる人々は、その静寂の中で、心の奥底にある感情と向き合い、魂を癒やすことができると言われている。
四つの別宮が織りなす神聖な空間
月読宮には、月読宮(つきよみのみや)の他に、月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)、伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)、伊佐奈弥宮(いざなみのみや)の四つの別宮が並んで鎮座している。それぞれの宮には、異なる神々が祀られ、異なる役割を担っている。
月読宮(つきよみのみや): 月読尊(つきよみのみこと)を祀る本宮。月の満ち欠けを司り、暦を教える神として、人々に知恵と豊穣をもたらす。

月読荒御魂宮(つきよみあらみたまのみや)
月読尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)を祀る。荒御魂とは、神の荒々しい側面、顕著な働きを指す。月読尊の持つ、力強く、活発な側面を祀ることで、人々に活力と勇気を与える。

伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀る。伊弉諾尊は、伊弉冉尊と共に、日本列島を生み出したとされる神である。創造の神として、新たな始まりや可能性を司る。

伊佐奈弥宮(いざなみのみや)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る。伊弉冉尊は、伊弉諾尊と共に、日本列島を生み出したとされる神である。生命の母として、安産や子育ての神として信仰される。

これらの四つの別宮が並び立つことで、月読宮は、月読尊の持つ様々な側面、そして、日本の神話における重要な神々を祀る、神聖な空間となっている。それぞれの宮に参拝することで、異なる神々の恩恵を受け、心身ともに癒やされると言われている。
静寂の中で、神々と向き合う
月読宮の参拝は、一般的に、右から順に、月読荒御魂宮、月読宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順に行う。まずは、月読荒御魂宮で、月読尊の力強い側面からエネルギーを受け取る。次に、月読宮で、月の知恵と豊穣を祈願する。そして、伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮で、創造と生命の力を授かる。
参道をゆっくりと歩き、それぞれの宮の前で静かに手を合わせる。目を閉じ、心を静めると、神々の気配を感じることができるかもしれない。木々のざわめき、鳥のさえずり、そして、自分の呼吸の音だけが聞こえる静寂の中で、神々と向き合い、対話する。
月読宮は、伊勢神宮の周辺でも特に静かなお宮として知られている。賑やかな観光地とは異なり、そこには、時間の流れがゆっくりと感じられる、特別な空間が広がっている。参道を歩いていると、まるで時間が止まったかのように感じられる。
都会の喧騒に疲れた人々にとって、月読宮は、まさに魂の避難所と言えるだろう。静寂の中で、心を解放し、自分自身と向き合う。そして、神々の恩恵を受け、心身ともに癒やされる。
魂の疲れを癒やす、不思議な力
月読宮を訪れる人々は、口々に「魂が癒やされる」と言う。その理由は、一体何なのだろうか。
一つには、月読宮が持つ、静寂な空間にあるだろう。騒音や情報過多な現代社会において、静けさを求める人々は多い。月読宮は、その静けさの中で、心の奥底にある感情と向き合い、解放する機会を与えてくれる。
また、月読尊が持つ、月の力も影響しているのかもしれない。月は、古来より、人々の感情や精神に影響を与えると考えられてきた。月の満ち欠けは、人の心にも変化をもたらし、感情の波を引き起こす。月読尊は、その月の力を司り、人々の心を癒やし、安定させる力を持っていると言われている。
さらに、月読宮に祀られている神々の存在も、人々の心を癒やす要因となっているだろう。月読尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊は、いずれも、人々の生活と密接に関わる神々である。彼らの存在を感じ、祈りを捧げることで、人々は安心感を得、心の平穏を取り戻すことができる。
月読宮は、単なる観光地ではない。そこは、神々が宿る神聖な空間であり、人々の魂を癒やす力を持つ場所である。訪れる人々は、その静寂の中で、自分自身と向き合い、神々の恩恵を受け、新たな一歩を踏み出すことができる。
旅の終わりに
月読宮への参拝を終え、再び車に乗り込んだ。心は穏やかで、満たされていた。都会の喧騒で疲れていた心が、完全に癒やされたように感じた。
今回の伊勢の旅では、伊勢神宮を始め、多くの神社を巡った。それぞれの神社で、異なる神々と出会い、異なる恩恵を受けた。伊勢の神々は、人々の生活と密接に関わり、人々の心を癒やし、支え続けている。
伊勢の旅は、私にとって、単なる観光旅行ではなく、魂の探求の旅となった。伊勢の神々と出会い、自分自身の内面と向き合うことで、新たな発見と成長があった。
いつかまた、伊勢の神々に会いに来たい。そして、その時は、今回よりもさらに深く、神々と対話したい。そう願いながら、私は、伊勢の地を後にした。