地球のマグマエネルギーが湧き上がる火と水の聖地、伊豆山神社

火山
vibration

伊豆山神社・強運と縁結びを紡ぐ神々の息吹

伊豆山神社(いずさんじんじゃ)は、古来より伊豆御宮(いずおんみや)、伊豆大権現(いずだいごんげん)、走湯大権現(そうとうだいごんげん)、走湯山(そうとうざん)など、様々な名で呼ばれてきた古社である。強運守護、福徳和合、そして縁結びの神として人々に崇敬され、その歴史は日本の第五代天皇、孝昭天皇の時代(紀元前五世紀~紀元前四世紀)にまで遡ると伝えられる。伊豆半島の豊かな自然に抱かれ、地球のマグマエネルギーが湧き上がるこの地は、まさに火と水の聖地であり、訪れる者に深い感動と癒しを与えるパワースポットとして知られている。

神話の時代から息づく、伊豆大神の力

伊豆山神社の本殿には、木造男神像(平安時代中期、日本最大の神像)が祀られており、応神天皇の時代に相模国大磯の海に出現し、仁徳天皇の時代に日金山に飛来して祀られたと伝えられる伊豆大神の姿をあらわしている。伊豆大神の力の源は、湧き出る霊湯「走り湯」である。走湯権現(そうとうごんげん、はしりゆごんげん)とは、この霊湯を神格化した呼び名であり、伊豆という地名は、湯出づる(ゆいづる)神という言葉から生まれたとされている。伊豆大神の力は、富士山、箱根、初島をはじめ、伊豆の島々に及び、その広大さを物語っている。

伊豆山神社

霊験あらたかなる霊場としての歴史

後白河院御撰『梁塵秘抄』には、「四方の霊験所」の一つとして伊豆山神社がうたわれており、平安時代後期には山岳修験霊場として名を馳せ、顕密神道を学ぶ名高い道場となった。空海も修行をしたという伝承があり、その霊験は広く知れ渡っていたことが窺える。熊野信仰とも結びつき、全国に末社が祀られており、その信仰の広がりを物語っている。

ご祭神とその御名に込められた深い意味

伊豆山神社のご祭神は、以下の三柱である。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさやあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)

拷幡千千姫尊(たくはたちちひめのみこと)

天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

特に注目すべきは、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊である。その御名には、深く、そして力強いメッセージが込められている。

Izusan02

「ひえへに ただしく すなほになるを 心とし 形とし給ふ 心すなほにして ゆがまざれば よろづにかつ そらてらし給ふ日の出る時 日は一なれども くらきやみ すみやかに きゆるに にたりなり まよへる民を あはれみて よろづをしのび ゆがめるをあらためて なほきに おもむくを聞き よろこび給へば 国ゆたかに 人さかふ」

この御歌は、素直な心を大切にし、正しく生きることの重要性を説いている。心が歪まなければ、あらゆる困難に打ち勝ち、太陽が暗闇を照らすように、迷える人々を導き、国を豊かにし、人を繁栄させることができると示唆している。

赤白二龍が司る、火と水の神秘

伊豆山神社の縁起「走湯山縁起」(鎌倉期に成立)によれば、当伊豆山の地底に赤白二龍が和合して臥しているという。その尾を箱根の湖水(芦ノ湖)に漬け、その頭は日金嶺(伊豆山のこと)地底に在り、温泉の湧く所(走り湯)は此の龍の両目二耳並びに鼻穴口中であると伝えられる。二龍は精気を吐き、赤白海水に交わる。二色浦(今の熱海錦ヶ浦のこと)はこれを謂うとされる。

赤白二龍(せきびゃくにりゅう)はご祭神、天忍穂耳尊(あめのににぎのみこと)の随神であり、赤は火を、白は水をそれぞれ表し、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す温泉の守護神である。赤白二龍は境内の手水や、社殿、お守りにも施されており、伊豆山神社のシンボルとなっている。この伝説は、伊豆山神社が持つ火と水の融合という特徴を象徴的に表現しており、人々に深い印象を与えている。

広大な神域とご本殿の荘厳さ

ご本殿は、相模灘を一望できる海抜170メートルの地点に位置している。境内は小恋(こごい)の森の一部で、約40000坪の広さを誇る。この場所は、かつて上宮と呼ばれていた。階段を下って海抜50メートル弱の地点には下宮の跡地があり、さらに伊豆浜に下ると走り湯がある。また、海抜380メートルの山中には本宮がある。伊豆の御山は、日金山や岩戸山に連なり、伊豆・相模・駿河の三国にまたがる広大な神域の要であり、その荘厳さは訪れる者を圧倒する。

パワースポットとしての伊豆山神社

伊豆山神社とその参道(走り湯から本宮に至る道)は、まさに地球のマグマの恩恵を受けているパワースポットである。長い参道を歩くと、まるで岩盤浴をしているかのように、足元から暖かいものが伝わってきて、歩くだけで疲れが消えて元気になると言われている。この地のエネルギーは、人々の心身を癒し、活力を与える力を持っている。

Izuhonmiya 01

源頼朝と伊豆山神社の深い絆

その昔、平治の乱で平清盛に捕らえられた源頼朝は、平清盛の継母である池禅尼(いけのぜんに)の助言で死刑をまぬがれ、伊豆の蛭ヶ小島に流刑される。しかし、流刑の身であっても、狩りや手紙のやり取りなどは許され、かなり自由度が高い生活を送っていた。

頼朝は伊豆権現、阿舎利覚淵(加藤景簾と兄弟)のもとで学び、源氏再興を祈願して法華経千巻の誓いを立てた。しかし、急を要する事が起き、八百巻で出陣をしてよいか伊豆権現にお伺いを立て、旗揚げを敢行し勝利した。その間、伊豆権現では頼朝勝利の祈祷を行い、北条政子を庇護していた。また、箱根権現(僧行実)も、源氏再興への支援を行った。

その恩に報いるため、鎌倉幕府を開いた頼朝は、伊豆権現と箱根権現への二所詣を幕府の公式な行事とするなど、伊豆権現は幕府直轄の神社として崇敬の的となった。以来、鎌倉歴代将軍の信仰厚く、この神社は関東の総鎮守として、戦勝祈願の社として隆盛を極めた。

源頼朝が征夷大将軍となった後は、幕府の最高の崇敬をあらわす「関八州鎮護」として、多くの社領を寄進した。また戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍に篤く信仰された。武家が誓いを立てるときの起請文には、誓詞証明の社として、伊豆山神社の名が必ず連ねられている。

歴史を紡ぐ、現代への継承

明治維新の神仏分離令により伊豆山神社と名称を変更してからも、大正3年1月13日には当時の皇太子、後の昭和天皇が、昭和55年9月12日には皇太子浩宮徳仁親王殿下がご参拝された。これは、伊豆山神社が時代を超えて、皇室からも崇敬され続けている証である。

源頼朝を尊敬していた徳川家康は、関が原の合戦前に熱海に入湯し、その温泉パワーをもらって天下統一を成し遂げたとも言われている。初めて武士による政権である鎌倉幕府をおさめた初代鎌倉幕府将軍、源頼朝。江戸幕府の初代将軍、徳川家康。両者を勝利へと導く鍵となった伊豆山神社には、強運や天下取りの秘密が隠されているかのようである。

境内に点在する見どころ

広くはない境内には、様々な見どころがあり、それぞれに歴史と物語が息づいている。本殿の荘厳さ、走り湯の神秘、赤白二龍の伝説、そして参道のパワースポットとしての魅力。伊豆山神社は、訪れる者に感動と癒しを与え、強運と縁結びを紡ぐ神々の息吹を感じさせてくれる聖地である。

現代に生きる伊豆山神社の魅力

現代社会において、伊豆山神社は単なる観光地ではなく、心の拠り所として、また、パワースポットとして、多くの人々に支持されている。ストレス社会を生きる現代人にとって、自然に囲まれた静謐な空間で、心身をリフレッシュすることは非常に重要である。伊豆山神社は、その役割を十分に果たすことができる場所である。

また、縁結びの神として、多くの人々が良縁を求めて訪れる。恋愛成就だけでなく、仕事や人間関係など、様々な縁を結ぶ力があると信じられている。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の御名に込められたメッセージは、困難に打ち勝ち、幸福を掴むための指針となり、人々の心を力強く支えている。

伊豆山神社への旅 ・過去と現在を結ぶ聖地巡礼

伊豆山神社への旅は、単なる観光旅行ではなく、過去と現在を結ぶ聖地巡礼である。歴史と伝統に触れ、自然のエネルギーを感じ、そして自身の内面を見つめ直す貴重な機会となるだろう。

参道をゆっくりと歩き、走り湯の温かさに触れ、本殿で静かに祈りを捧げる。そして、赤白二龍の伝説に思いを馳せ、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の御名に込められたメッセージを心に刻む。その時、あなたはきっと、新たなエネルギーと希望に満たされることだろう。

伊豆山神社は、これからも人々の心の拠り所として、そしてパワースポットとして、その輝きを失うことなく、未来へと語り継がれていくであろう。

ABOUT ME
Shokey Hayashi
Shokey Hayashi
エクソシスト/ラジオニクス技法研究家
1965年、青森県に生まれ 幼少期から霊的な現象によるトラブルや病気、怪我に悩まされてきた。しかし、20歳のある日、イベント参加、会場で不思議体験、天からの稲妻エネルギーが降り注ぎ、脳から脊髄を貫くような衝撃を受け、霊能力が開花。その後、心理学と超能力の研究をスタート、現在は、霊能力と意識工学を融合させた。独自のラジオニクス技法をにて「ラジオニクス除霊」を確立。除霊、供養、癒しを超えた「運気の治療まで可能となる」
error: Content is protected !!
記事URLをコピーしました